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流言蜚語(寺田寅彦)のあらすじ・登場人物

流言を広げるのは市民自身

寺田寅彦 1924年(大正13年)9月 「東京日日新聞」

文字数
2,336字
読了目安
約5分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

寺田寅彦が1924年(大正13年)9月の「東京日日新聞」に寄せた短い随筆。関東大震災からちょうど一年の時期に書かれ、震災の混乱のなかで広まった流言を念頭に置いている。寅彦は、水素と酸素の混合気体の燃焼が、混合の割合によって爆発的に広がったり、その場で立ち消えたりする実験を引き合いに出し、流言が広まるかどうかは、火花にあたる「源」よりも、それを受け継ぐ媒質、すなわち市民の側にかかっていると論じる。井戸に毒を投げこむのにどれほどの薬と人手が要るかを試算してみせるなど、物理学者らしい具体的な思考実験を通じて、日常に生きて働く「科学的常識」の大切さを説いた一編である。

あらすじ

長い管に水素と酸素を混ぜて入れ、電気の火花を飛ばすと、燃焼が次々に伝わって爆発の波となる。だが水素の割合が少なすぎても多すぎても、燃焼は火花のそばだけで終わり、広がらない。寅彦は、流言蜚語の伝わり方にもこれと似た形があると言う。流言には火花にあたる「源」が必要だが、それを受け継ぎ取り次ぐ媒質がなければ広がらずに立ち消える。非常の際に流言の源となる小さな火花があちこちに生じるのは避けがたい自然現象である以上、流言が広まった責任の少なくとも半分、ことによると九割以上は、媒質となった市民自身が負わなければならない。今夜三時に大地震があるという流言も、正確な地震予知が不可能だと知る人が町内に三割もいれば孵らずに腐ってしまう。震災の最中に、暴徒が井戸に毒を投げこみ建物に爆弾を投じているという流言が流れたとしても、市中の井戸に毒を入れるのにどれほどの薬と人手と時間が要るかを少し考えてみれば、少なくとも自宅の井戸への恐れは減るだろう。非常時にそんな胸算用をする余裕はないと言うなら、それこそ本当の意味での活きた科学的常識が欠けている証拠である。科学的常識とは天王星の距離を暗記していることではなく、手近なところで判断の基準として働くものでなければならない。そうした常識は、事に臨んで科学的に省察する機会と余裕を与え、流言の勢いを弱めるはずだと寅彦は結ぶ。

冒頭部(原文より)

 長い管の中へ、水素と酸素とを適当な割合に混合したものを入れておく、そうしてその管の一端に近いところで、小さな電気の火花を瓦斯の中で飛ばせる、するとその火花のところで始まった燃焼が、次へ次へと伝播して行く、伝播の速度が急激に増加し、遂にいわゆる爆発の波となって、驚くべき速度で進行して行く。これはよく知られた事である。

「流言蜚語」寺田寅彦(青空文庫)

末尾部(原文より)

 勿論、常識の判断はあてにはならない事が多い。科学的常識は猶更である。しかし適当な科学的常識は、事に臨んで吾々に「科学的な省察の機会と余裕」を与える。そういう省察の行われるところにはいわゆる流言蜚語のごときものは著しくその熱度と伝播能力を弱められなければならない。たとえ省察の結果が誤っていて、そのために流言が実現されるような事があっても、少なくも文化的市民としての甚だしい恥辱を曝す事なくて済みはしないかと思われるのである。

「流言蜚語」寺田寅彦(青空文庫)

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