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小爆発二件(寺田寅彦)のあらすじ・登場人物

正当にこわがるのはむずかしい

寺田寅彦 1935年(昭和10年)11月 「文学」

文字数
4,727字
読了目安
約9分
表記
新字新仮名
種別
随筆
舞台
  • 長野県

この作品について

昭和十年夏、避暑先の軽井沢で二度の浅間山の小爆発に居合わせた寺田寅彦が、噴煙の上昇速度から降灰の粒の構造まで、物理学者の眼で克明に記録した随筆。「ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしい」——のちにたびたび引かれることになる一句は、この作品に置かれている。爆発の型と等級が分類される時代の「文学」を想像してみせる結びも忘れがたい。

あらすじ

昭和十年八月四日の朝、軽井沢千が滝のホテルの露台で煙草に火をつけたとたん、けたたましい爆音が響いた。大砲ともガス爆発とも違う、ダイナマイトで岩山を破砕するあの音である。屋上に出て浅間の方角を見ると、山頂は雲に隠れていたが、やがて花甘藍の形をした噴煙が雲帽の上へもくもくと沸き上がり、毎秒五、六十メートル——台風の最大風速に匹敵する速さで直上していった。噴煙の膚は細かい凹凸を刻み、内部の擾乱の激しさを示している。高く上がるにつれて色が白み、椎茸の笠を積み重ねたような渦環が重畳する。……山を下りる途中から降灰が始まり、星野温泉に着くと地面の色が変わるほど灰が積もっていた。池の面には小雨のような波紋が現滅し、灰が降っているという意識が、見慣れた景色を淒涼な雰囲気で色づける。降灰を双眼顕微鏡でのぞくと、一粒一粒の心核に多稜形の岩片があり、その表面に微細な灰粒が霧氷のように付着している。なぜ両者が衝突して反発せず膠着するのか——それは将来の問題である。帰りの沓掛駅で、爆発など何でもないと請け合う学生に対し、駅員が静かに首を振ったのを見て、寅彦は「正当にこわがる」ことの難しさを思う。八月十七日にも爆発があったが、同じ軽井沢でも聞こえ方はまるで違った。やがて火山の研究が進めば爆発の型と等級が分類される日も来るだろう。ではその時代の「文学」はどうなるのか、と寅彦は結ぶ。

冒頭部(原文より)

 昭和十年八月四日の朝、信州軽井沢千が滝グリーンホテルの三階の食堂で朝食を食って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ドカーン」といったような不規則なリズムを刻んだ爆音がわずか二三秒間に完了して、そのあとに「ゴー」とちょうど雷鳴の反響のような余韻が二三秒ぐらい続き次第に減衰しながら南の山すそのほうに消えて行った。

「小爆発二件」寺田寅彦(青空文庫)

末尾部(原文より)

 しかし、火山の爆発だけは、今にもう少し火山に関する研究が進んだら爆発の型と等級の分類ができて、きょうのはA型第三級とかきのうのはB型第五級とかいう記載ができるようになる見込みがある。  S型三六号の心中やP型二四七号の人殺しが新聞で報ぜられる時代も来ないとは限らないが、その時代における「文学」がどんなものになるであろうかを想像することは困難である。  少なくも現代の雑誌の「創作欄」を飾っているようなあたまの粗雑さを成立条件とする種類の文学はなくなるかもしれないという気がする。

「小爆発二件」寺田寅彦(青空文庫)

名文

ものをこわがらな過ぎたり、こわがり過ぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだと思われた。

浅間山の小爆発を体験した随筆の一節。恐れすぎず侮りすぎず「正当にこわがる」ことの難しさを説いた言葉は、災害などのたびに引かれる。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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