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天災と国防(寺田寅彦)のあらすじ・登場人物

天災は忘れた頃にやってくる

寺田寅彦 1934年(昭和9年)11月 「経済往来」

文字数
7,404字
読了目安
約15分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

物理学者・寺田寅彦が、防災への警鐘として書いた代表的随筆。1934年(昭和9年)、室戸台風による近畿の大風水害の直後に雑誌「経済往来」へ発表された。文明が進むほど、かえって天災による被害は大きくなる——と寺田は説く。人は災害の記憶を忘れやすく、良い年回りのあいだに備えを怠るために、天災は「忘れた頃にやってくる」。国防が外敵に備えるものであるならば、地震・台風・洪水といった自然の強敵に対しても、平時から国民が一致して科学的な対策を講じることこそ現代にふさわしい「大和魂の進化」ではないか、と論じる。防災を国家的課題としてとらえた先駆的な文明批評であり、今日なお読み継がれている。

あらすじ

「非常時」という言葉が世をおおい、国際情勢への不安が国民の心の底に揺曳していた昭和九年、寺田寅彦は、その年に相次いだ函館の大火、北陸の水害、近畿の大風水害といった天変地異に目を向ける。人は一家や一国に災禍が続くと神秘的な因果を思い、厄払いにすがろうとするが、統計から見ればそれは偶然の「自然変異」にすぎず、悪い年回りはいつか必ず巡ってくるのが自然の鉄則である。にもかかわらず、良い年回りのあいだに充分な備えをしておくというあたりまえのことを、人間はきれいに忘れてしまう。寺田はさらに、文明が進歩し社会機構が複雑化するほど、地震や台風がもたらす被害はかえって甚大になると指摘し、この逆説にこそ現代の危機があると説く。外敵に備える国防と同じく、天然の強敵に対しても平生から国民一致で科学的対策を講じることこそ、現代にふさわしい愛国心・大和魂の進化ではないか——と、寺田は静かに、しかし切実に訴えかける。

冒頭部(原文より)

「非常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国民全体の意識の底層に揺曳していることは事実である。そうして、その不安の渦巻の回転する中心点はと言えばやはり近き将来に期待される国際的折衝の難関であることはもちろんである。  そういう不安をさらにあおり立てでもするように、ことしになってからいろいろの天変地異が踵を次いでわが国土を襲い、そうしておびただしい人命と財産を奪ったように見える。あの恐ろしい函館の大火や近くは北陸地方の水害の記憶がまだなまなましいうちに、さらに九月二十一日の近畿地方大風水害が突発して、その損害は容易に評価のできないほど甚大なものであるように見える。国際的のいわゆる「非常時」は、少なくも現在においては、無形な実証のないものであるが、これらの天変地異の「非常時」は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。

「天災と国防」寺田寅彦(青空文庫)

末尾部(原文より)

 新聞記事によると、アメリカでは太平洋上に浮き飛行場を設けて横断飛行の足がかりにする計画があるということである。うそかもしれないがしかしアメリカ人にとっては充分可能なことである。もしこれが可能とすれば、洋上に浮き観測所の設置ということもあながち学究の描き出した空中楼閣だとばかりは言われないであろう。五十年百年の後にはおそらく常識的になるべき種類のことではないかと想像される。  人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮するのも結構であるが、昆虫や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしかるべきではないかと思う次第である。

「天災と国防」寺田寅彦(青空文庫)

名文

文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。

物理学者でもあった寅彦が、防災の心得として説いた一節。文明が進むほど自然災害の被害は大きくなると指摘し、今も防災の文脈で広く引かれる。

原文を読む

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