義太夫節とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- ぎだゆうぶし
浄瑠璃の流派の一つで、竹本義太夫(1651〜1714年)が始めた語り物の音楽。大坂天王寺村に生まれた義太夫は、井上播磨掾の門弟清水理兵衛に学び、宇治加賀掾の技法も取り入れて、貞享元年(1684年)に大坂道頓堀に竹本座を開いた。貞享2年(1685年)ごろには初めて近松門左衛門に書かせた『出世景清』を上演して加賀掾の一座と競い、大坂での地盤を固める。これより前の浄瑠璃を古浄瑠璃と呼び、義太夫節は「当流」とも称された。元禄16年(1703年)の『曾根崎心中』は大当たりをとり、竹本座はこれで借財を返したと伝えられる。宝永2年(1705年)からは竹田出雲が座本となり、近松を座付作者に迎えて、『国性爺合戦』などの名作を送り出した。同じ元禄16年には門弟の豊竹若太夫が豊竹座を開いて独立し、地味で写実的な竹本座の「西風」と、華やかで旋律的な豊竹座の「東風」とが競い合った。演奏は太夫一人と三味線一人が基本で、三味線には邦楽で最も大きい太棹を用いる。太夫は、情景を叙する地、登場人物のせりふにあたる詞、その中間の色を語り分け、すべての役を一人で語る。人形浄瑠璃(文楽)の音楽として今日に伝わり、明治から大正にかけては寄席で女義太夫も人気を集めた。