百首歌とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- ひゃくしゅうた
一人の歌人が百首の和歌をまとめて詠み、一つの作品としたもの。一定の数を単位として詠む定数歌の代表的な形である。平安中期の曾禰好忠や源重之らが始めたとされ、重之が東宮時代の冷泉天皇に献じた百首は、現存する最も古い百首歌の一つである。はじめは歌人が四季や恋などの部立に合わせて詠む私的な試みだったが、12世紀初めに堀河天皇に奉られた『堀河百首』では、源俊頼らが中心となって十数人の歌人が、春・夏・秋・冬・恋・雑にわたる百の題を一首ずつ詠んだ。あらかじめ題を組み合わせて定めるこの組題百首の初めとされ、その題は後代の百首歌や題詠の規範となった。以後、崇徳院の久安百首や後鳥羽院の正治百首のように、天皇や上皇が歌人たちに百首を詠進させることが重ねられ、勅撰集の撰集の資料ともなった。後鳥羽院が三十人の歌人に詠ませた百首を番えた千五百番歌合からは、『新古今和歌集』に多くの歌が採られている。百人一首でも、崇徳院の「瀬をはやみ」や藤原顕輔・待賢門院堀河の歌は久安百首の作で、式子内親王の「玉の緒よ」や九条良経の歌も百首歌から出ている。題に沿って百首を詠み分ける百首歌は、歌人が力量を示す場であるとともに、歌の修練の方法でもあった。