人生相渉論争とは

分類
その他
読み
じんせいそうしょうろんそう

明治26年(1893年)、山路愛山と北村透谷のあいだで交わされた、文学は人生に何をなしうるかをめぐる論争。発端は、愛山が「国民之友」に載せた評論『頼襄を論ず』で、「文章即ち事業なり」と説き、世の中を益することのない文学は空しいと論じたことにある。これに対し透谷は「文学界」に『人生に相渉るとは何の謂ぞ』を書き、文学の価値は目に見える事業の効用では測れない、人間の内なる生命に触れることにこそ文学の意味があると反駁した。応酬のなかで透谷は『内部生命論』を著し、外に現れる功利ではなく内部生命の自由を説いて、浪漫主義の思想的な支柱となる。歴史家である愛山が国民の啓蒙を文章の使命と考えたのに対し、詩人である透谷は内面の自由にこそ文学の場を求めた。二人の立場の違いは、明治の知識人が文学に何を期待したかをよく映している。文学の自律を正面から主張した論争として近代文学史に大きい。透谷は翌明治27年に二十五歳で自ら命を絶つが、その主張は島崎藤村ら「文学界」の同人に受け継がれていった。

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