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内部生命論(北村透谷)のあらすじ・登場人物

内なる「生命」の実在を説く

北村透谷 1893年(明治26年)5月 「文学界」

文字数
6,907字
読了目安
約14分
表記
新字旧仮名

この作品について

人間の内部に宿る「生命(インナー・ライフ)」の実在を説いた、北村透谷の代表的評論。移ろう自然を前に人の心が呼び起こされる神秘的な感応のうちに、人智を超えた宇宙の精神との交流を見いだす。文学を人間の内面の真実へと導こうとした透谷の思想の核心を示し、日本近代の精神史に大きな足跡を残した一篇。

あらすじ

人間は決して枯れきった存在ではなく、宇宙も無味乾燥なものではない――透谷はこう説き起こす。同じ不変の自然(造化)を前にしても、これに対する人の心は千々に異なり、心のありようによって自然の趣もまた変わる。造化は人間を支配するが、人間の内なる自由の精神もまた造化に黙従することを潔しとしない。だが造化もまた宇宙の精神のあらわれ、神の形の顕現であって、その中には至高の美が秘められている。人がそれに触れて畏敬の念を抱くとき、心の奥に精神的な経験が生まれる。透谷はこれを、人智や理屈を超えたところで働く「内部の生命」の作用ととらえる。詩人や宗教家が自然や人生の奥に感じ取る神秘的な感応は、外から与えられるのでも、内から意識して生み出すのでもなく、宇宙の大精神との交流によって「内部の生命」が呼び覚まされ、再び造りかえられる働きにほかならない。その再生された生命の眼をもって見るとき、万物のうちに究極の美と意味が立ちあらわれる――。人間の内面にこそ真実の実在を求めた本作は、透谷の思想の到達点を示すとともに、日本近代文学に精神の深みをもたらした画期的な評論である。

冒頭部(原文より)

 人間は到底枯燥したるものにあらず。宇宙は到底無味の者にあらず。一輪の花も詳に之を察すれば、万古の思あるべし。造化は常久不変なれども、之に対する人間の心は千々に異なるなり。  造化は不変なり、然れども之に対する人間の心の異なるに因つて、造化も亦た其趣を変ゆるなり。仏教的厭世詩家の観たる造化は、悉く無常的厭世的なり。基督教的楽天詩家の観たる造化は、悉く有望的楽天的なり、彼を非とし、此を是とするは余が今日の題目にあらず。夫れ斯の如く変化なき造化を、斯の如く変化ある者とするもの、果して人間の心なりとせば、吾人豈人間の心を研究することを苟且にして可ならんや。  造化は人間を支配す、然れども人間も亦た造化を支配す、人間の中に存する自由の精神は造化に黙従するを肯ぜざるなり。造化の権は大なり、然れども人間の自由も亦た大なり。人間豈に造化に帰合するのみを以て満足することを得べけんや。然れども造化も亦た宇宙の精神の一発表なり、神の形の象顕なり、その中に至大至粋の美を籠むることあるは疑ふべからざる事実なり、之に対して人間の心が自からに畏敬の念を発し、自からに精神的の経験を生ずるは、豈不当なることならんや、此塲合に於て、吾人と雖、聊か万有的趣味を持たざるにあらず。

「内部生命論」北村透谷(青空文庫)

末尾部(原文より)

 この感応は人間の内部の生命を再造する者なり、この感応は人間の内部の経験と内部の自覚とを再造する者なり。この感応によりて瞬時の間、人間の眼光はセンシユアル・ウオルドを離るゝなり、吾人が肉を離れ、実を忘れ、と言ひたるもの之に外ならざるなり、然れども夜遊病患者の如く「我」を忘れて立出るものにはあらざるなり、何処までも生命の眼を以て、超自然のものを観るなり。再造せられたる生命の眼を以て。  再造せられたる生命の眼を以て観る時に、造化万物何れか極致なきものあらんや。然れども其極致は絶対的のアイデアにあらざるなり、何物にか具躰的の形を顕はしたるもの即ち其極致なり、万有的眼光には万有の中に其極致を見るなり、心理的眼光には人心の上に其極致を見るなり。

「内部生命論」北村透谷(青空文庫)

原文を読む

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