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我牢獄(北村透谷)のあらすじ・登場人物

見えない牢獄の中の自分

北村透谷 1892年(明治25年)6月 「女學雜誌」

文字数
4,525字
読了目安
約9分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

北村透谷の短い評論的随想。1892年(明治25)6月、『女学雑誌』に発表。罪を犯した覚えがないのに、なぜか自分は牢獄の中にいるという感覚を出発点に、人間が生まれながらに受ける束縛を考える。のちの「内部生命論」へつながる思想の原点とされる。

あらすじ

冒頭は「もし我にいかなる罪あるかを問はゞ、我は答ふる事を得ざるなり、然れども我は牢獄の中にあり」。自分を拘縛する者が誰なのかも知らない。強盗殺人を犯す勇気もなく、豆粒ほどの虫を殺しても心に傷を受けるほどの怯懦な人間なのに、法律に縛られるはずがない。政治犯の罪は世人の羨むところというが、自分は喜ばない。末尾の附記には、篇中の思想の頑なな部分は今日の自分の思想と異なるところもあると記されている。

冒頭部(原文より)

 もし我にいかなる罪あるかを問はゞ、我は答ふる事を得ざるなり、然れども我は牢獄の中にあり。もし我を拘縛する者の誰なるを問はゞ、我は是を知らずと答ふるの外なかるべし。我は天性怯懦にして、強盗殺人の罪を犯すべき猛勇なし、豆大の昆虫を害ふても我心には重き傷痍を受けたらんと思ふなるに、法律の手をして我を縛せしむる如きは、いかでか我が為し得るところならんや。政治上の罪は世人の羨むところと聞けど我は之を喜ばず、一瞬時の利害に拘々して、空しく抗する事は、余の為す能はざるところなればなり。我は識らず、我は悟らず、如何なる罪によりて繋縛の身となりしかを。

「我牢獄」北村透谷(青空文庫)

末尾部(原文より)

 透谷庵主、透谷橋外の市寓に倦みて、近頃高輪の閑地に新庵を結べり。樹幽に水清く、尤も浄念を養ふに便あり。適ま「女学雑誌」の拡張に際して、主筆氏の許すところとなりて、旧作を訂し紙上に載せんとす。こは其第一なり、もしそれ全篇の佶屈牙にして、意義も亦た諒し難きところ多きに至りては、余の文藻に乏しきの罪として、深く責め玉はざらんことを願ふ。たゞ篇中の思想の頑癖に至りては、或は今日の余の思想とは異るところなり、友人諸君の幸にして余が為に甚く憂ひ玉はざらんことを。 (著者附記) (明治二十六年六月)

「我牢獄」北村透谷(青空文庫)

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