女学雑誌とは
- 分類
- 結社・団体
- 読み
- じょがくざっし
明治18年(1885年)7月に創刊された、女性の地位向上と教育を主張する雑誌。初代の編集人は近藤賢三で、その没後は創刊時から編集に加わっていた巌本善治が主宰した。キリスト教の精神に基づく啓蒙の雑誌として、女性の自立や一夫一婦制、女子教育の必要を論じ、明治女学校とも深く結びついていた。やがて文学の欄が充実し、巌本の妻・若松賤子がバーネットの『小公子』を口語体で訳して連載し(明治23〜25年)、清新な翻訳文体として評判を呼んだ。清水紫琴の小説『こわれ指環』(明治24年)も本誌に載っている。北村透谷が、恋愛を人間の精神の自由を示すものとして論じた評論『厭世詩家と女性』(明治25年)も本誌で発表され、「恋愛は人世の秘鑰なり」に始まるこの一文は青年たちに大きな衝撃を与えた。透谷・島崎藤村・星野天知らの若い文学者は、やがて本誌の文学欄から分かれて明治26年(1893年)に雑誌「文学界」を創刊し、浪漫主義の拠点とした。明治37年(1904年)に終刊するまで、近代日本の女性論と、浪漫主義文学の土壌を作った雑誌である。