三夕の歌とは
- 分類
- その他
- 読み
- さんせきのうた
『新古今和歌集』巻四・秋歌上に続けて並ぶ、結句をいずれも「秋の夕暮」とする三首の和歌をいう。寂蓮の「さびしさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮」、西行の「心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮」、藤原定家の「見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮」の三首で、いずれも三句切れ・体言止めの形をとる。寂蓮は常緑の槙が立つ山に、西行は情趣を捨てたはずの出家の身にもしみる沢辺の夕暮れに、定家は花も紅葉もない浦の苫屋に、色や華やぎの尽きたあとの寂しさを見いだしており、言葉の外に情趣を響かせる新古今調の幽玄・余情をよく示す歌として名高い。「秋の夕暮」で結ぶ歌は、『後拾遺和歌集』に入る良暹法師の「さびしさに宿を立ち出でてながむればいづこも同じ秋の夕暮」(『小倉百人一首』にも採られる)などに先例があり、『新古今和歌集』で大きく数を増した。「三夕」という呼び名がいつ生まれたかははっきりしないが、近世には広く親しまれていた。茶の湯の伝書『南方録』は、武野紹鷗が定家の一首に茶の湯の心を見いだしたと伝えている。