小説の筋論争とは
- 分類
- その他
- 読み
- しょうせつのすじろんそう
昭和2年(1927年)、芥川龍之介と谷崎潤一郎のあいだで、小説にとって筋の面白さはどれほどの価値を持つかをめぐって交わされた論争。「筋のない小説」論争とも呼ばれる。発端は「新潮」2月号の合評会で、芥川が谷崎の小説について、筋の面白さが芸術的な価値と言えるかに疑問を述べたことにある。谷崎は「改造」に連載していた随筆『饒舌録』の3月号で反論し、筋の面白さとは物の組み立て方、構造の美しさであり、「凡そ文学に於て構造的美観を最も多量に持ち得るものは小説である」と説いた。芥川は同じ「改造」の4月号から『文芸的な、余りに文芸的な』を連載して応じ、冒頭の「『話』らしい話のない小説」で、そうした小説を最上とは思わないが、小説の価値は「話」の長短や奇抜さでは決まらないとして、志賀直哉の『焚火』以下の短編を挙げ、素材を生かす「詩的精神」の深浅こそが問題だと論じた。応酬は同年7月の芥川の自殺によって決着を見ないまま途絶えた。物語性と構成を重んじる立場と、筋よりも詩的な純粋さを重んじる立場の対立は、のちの純文学と物語性をめぐる議論にもたびたび引き合いに出される。
関連する用語
この用語に関わる作品
- 文芸的な、余りに文芸的な 1927年(昭和2年)4月
- 続文芸的な、余りに文芸的な 1927年(昭和2年)7月