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文芸的な、余りに文芸的な(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物

「話」らしい話のない小説

芥川龍之介 1927年(昭和2年)4月 「改造」

文字数
50,021字
読了目安
約1時間40分
表記
新字旧仮名

この作品について

自死の年に書かれた、芥川龍之介最後の文芸評論。「『話』らしい話のない小説」を擁護し、詩的精神こそ小説の質を決めると説くこの連載は、谷崎潤一郎との有名な「小説の筋」論争の主戦場となった。断章形式で書き継がれる思索には、追い詰められた作家の切実さがそのまま滲んでいる。

あらすじ

「僕は『話』らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない」——芥川はまずそう断ってから議論を始める。デッサンのない画が成り立たないように、小説は「話」の上に立つ。しかし小説の価値を定めるのは「話」の長短でも奇抜さでもない。「話」らしい話のない小説も存在しうるのであり、そこでは詩に近い純粋さが求められる——それは身辺雑事を描いただけの小説とは違う、「あらゆる小説中最も詩に近い」ものなのだ、と。以後、断章は「詩的精神」「破調と正調」「志賀直哉氏」「谷崎潤一郎氏」「東西の詩人」「文章」「私小説論小見」など多岐にわたって書き継がれる。芥川は志賀直哉の作品に純粋な詩的精神を見て高く評価し、一方で構成の妙を重んじる谷崎に対しては、「話」の面白さは小説の芸術的価値とは別であると反論した。この応酬が、のちに「小説の筋」論争として文学史に刻まれることになる。連載は文章論、俳諧論、西欧の作家評へと広がり、やがて「芸術の去勢力」という主題に行きつく。武器としての芸術は諸君を立たせもし、また静かに立たせなくもする——「文芸の極北はハイネの言つたやうに古代の石人と変りはない。たとひ微笑は含んでゐても、いつも唯冷然として静かである」。そう記して筆は擱かれ、その二か月後に芥川は自ら命を絶った。

冒頭部(原文より)

    一 「話」らしい話のない小説  僕は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。従つて「話」らしい話のない小説ばかり書けとも言はない。第一僕の小説も大抵は「話」を持つてゐる。デツサンのない画は成り立たない。それと丁度同じやうに小説は「話」の上に立つものである。

「文芸的な、余りに文芸的な」芥川龍之介(青空文庫)

末尾部(原文より)

 他人は或はかう云ふことも一笑に附してしまふであらう。それは僕も覚悟の前である。僕の見る所は浅いかも知れない。……文芸の極北はハイネの言つたやうに古代の石人と変りはない。たとひ微笑は含んでゐても、いつも唯冷然として静かである。

「文芸的な、余りに文芸的な」芥川龍之介(青空文庫)

名文

僕は「話」らしい話のない小説を最上のものとは思つてゐない。従つて「話」らしい話のない小説ばかり書けとも言はない。

谷崎潤一郎との「小説の筋」をめぐる論争のなかで芥川が書いた評論の冒頭。筋の面白さより詩的精神を重んじる「話らしい話のない小説」は、晩年の芥川の文学観を示す言葉として知られる。

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