層雲とは

分類
結社・団体
読み
そううん

明治44年(1911年)4月に荻原井泉水が創刊した俳誌。はじめは河東碧梧桐と協力し、新傾向俳句を広める場として出発したが、ドイツ文学の翻訳なども載せる文芸誌の性格もあわせ持っていた。井泉水は「俳句は印象の詩である」と説き、季題を不要とし、五・七・五の定型にとらわれない自由律を提唱した。季題をめぐる考えの違いから碧梧桐はやがて誌を離れ、以後は井泉水が主宰して自由律俳句の拠点となった。一高時代に井泉水と知り合った尾崎放哉と、大正2年(1913年)ごろから投句をはじめた種田山頭火は、ともに井泉水に師事して「層雲」に句を寄せた、自由律を代表する俳人である。職も家庭も失って寺の堂守となった放哉は、小豆島の南郷庵で最晩年の句を生み、「咳をしても一人」などの句を残した。笠と鉄鉢を手に行乞の旅を続けた山頭火は、旅の日々を『行乞記』に記し、昭和15年(1940年)に生涯の句を『草木塔』にまとめた。ほかに野村朱鱗洞・芹田鳳車らもこの誌から出ている。井泉水は昭和51年(1976年)に没するまで長くこの誌を率い、季語も定型も持たない一行の詩としての俳句を探り続けた。

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