悪妻論(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
苦しめ合うのが夫婦
- 文字数
- 3,673字
- 読了目安
- 約7分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
1947年(昭和22年)、雑誌「婦人文庫」に載った坂口安吾の随筆。仲間の平野謙の愛妻ぶりを皮切りに、良妻とは何か、悪妻とは何かを逆説まじりに論じる。日本の女性が受けてきた「女大学」式の教育への批判、知性と夫婦の関係、人間関係に平和を求めることへの疑いなど、短い文章に安吾らしい断定が並ぶ。「堕落論」と同じ時期の、戦後の価値観の転換期に書かれた一編である。
あらすじ
悪妻に一般的な型はなく、男女関係はすべて個性と個性の加減乗除だと安吾は言う。例として挙げるのは、妻にひっぱたかれることもなく深手を負って包帯を巻いている友人の平野謙である。日本の女は亭主への愛情よりも、姑や親に尽くすことを教えられてきた。恋愛を封じられ、いきなり夫婦になる日本の女房は暗くわびしい。安吾は、女大学式の良妻よりも魅力のある悪妻のほうが良いと断じる。平和や平静より、不安や苦しみのほうが好きだとも述べ、悲しみ苦しみこそ人生の花だとする。知性のある女は人間性を深く省みるので、夫と深いところで衝突し、平安を与えない。だが夫婦は愛し合うとともに憎み合うのが当然で、苦しめ合うのがよい。ただし魅力のない女、知性のない才媛は決定的に悪妻だと付け加える。最後は冒頭の平野謙に呼びかけ、戦争の流血は野蛮だと結ぶ。
冒頭部(原文より)
悪妻には一般的な型はない。女房と亭主の個性の相対的なものであるから、わが平野謙の如く(彼は僕らの仲間では大愛妻家という定説だ)先日両手をホータイでまき、日本が木綿不足で困っているなどとは想像もできない物々しいホータイだ。
「悪妻論」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
そして、知性ある女は、悪妻ではないが、常に亭主を苦しめ悩まし憎ませ、めったに平安などは与えることがないだろう。 苦しめ、そして、苦しむのだ。それが人間の当然な生活なのだから。然し、流血の惨は、どうかな? 平野君! ああ、戦争は野蛮だ! 戦争犯罪人を検索しようよ。平野君!
「悪妻論」坂口安吾(青空文庫)
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