木枯の酒倉から聖なる酔っ払いは神々の魔手に誘惑された話(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
酒と幻術の饒舌な狂想曲
- 幻想
- 風刺
- 文字数
- 11,152字
- 読了目安
- 約22分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
木枯の武蔵野と酒倉を行き来する「聖なる酔っ払い」が、禁酒を声明しては瑜伽行者の友人の幻術に翻弄される、饒舌な独白体の小説。武蔵野に居を探す「僕」が出会った男の語りという枠のなかで、酒への憎悪と恋しさが「じゃよ」口調の誇張した語りで噴き出す。同人雑誌「言葉」第2号(1931年1月)に掲載。作者自身が附記で、筋も人物も場所も模糊とした「永遠に続くべきものの一節」と記している。
あらすじ
武蔵野に居を探していた「僕」は、木枯の吹く夕暮れ、村はずれの家の雨戸を蹴倒して飛び出してきた男と取っ組み合い、その宿へ案内される。男は「そこに住むのはやめた方がよい」と言い、次のような物語を語りはじめる。男は造り酒屋の酒倉に入りびたる呑んだくれで、毎年夏が来るとペンペン草に埋もれる酒倉に別れを告げ、木枯が吹くと酒恋しさに戻ってくる。酒倉の亭主は日本に一人しかいない瑜伽行者で、酒樽のような肥満した酔っ払いだ。男は理性を研ぎ澄ますために禁酒を声明し、行者の楽天主義を打破しようと、カントを引いて論戦を挑む。行者は人間と酒の区別を失った誤謬を説き返し、現実を詩に変える自分の幻術を見せようと言って、酒樽にもたれて背亀坐を組む。すると蛇使いの笛の音とコブラが現れ、波羅門の娘が裸で寝そべる幻が見える。怒った男は行者の頸を絞めあげるが、行者は快くニタニタと笑っている。男は酒倉を脱走し、下宿で苦しみもだえるが、三日後にはふたたび酒倉へ戻って酒樽に取りすがる。酒倉はいつしか緑したたる熱国の杜に変わり、背亀坐の行者の尻が卒塔婆のようにそびえている。男はフラフラと歩きまわったあげく、叢に隠れた階段に足を踏みはずして窖へ転げ落ち、気絶してしまう。
登場人物
- 僕 武蔵野に貸家を探している男
- 男 酒倉に入りびたる「聖なる酔っ払い」。禁酒を声明しては酒倉に戻る
- 行者 酒倉の亭主。幻術を使う瑜伽行者で、酒樽のように太っている
冒頭部(原文より)
木枯の荒れ狂う一日、僕は今度武蔵野に居を卜そうと、ただ一人村から村を歩いていたのです。物覚えの悪い僕は物の二時間とたたぬうちに其の朝発足した、とある停車場への戻り道を混がらがせてしまったのですが、根が無神経な男ですから、ままよ、いい処が見つかったらその瞬間から其処へ住んじまえばいいんだ、住むのは身体だけで事足りる筈なんだからとそう決心をつけて、それからはもう滅茶苦茶に歩き出したんです。ところが案外なもので(えてして僕のやることは失敗に畢るものですから)、見はるかす武蔵野が真紅に焼ける夕暮れという時分に途方もなく気に入った一つの村落を見つけ出したのです。
「木枯の酒倉から聖なる酔っ払いは神々の魔手に誘惑された話」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
と、俺も詮方なくニヤニヤと空しい尻に笑いかけながら尚暫く叩いていたが、やがて退屈して酒樽へ戻ろうと足のフラフラを踏みしめて叢の中へわけ入ったのだが――(ああ、これも呪うべき行者の幻術であろうか)叢に秘められた階段に足踏みはずして、酒倉の窖へ真っ逆様に転り込むと、何のたわいもなく、俺は気絶してしまったのだ――。
「木枯の酒倉から聖なる酔っ払いは神々の魔手に誘惑された話」坂口安吾(青空文庫)
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