在りし日の歌(中原中也)のあらすじ・登場人物
中也が遺した最後の詩集
- 文字数
- 15,706字
- 読了目安
- 約31分
- 表記
- 新字旧仮名
- 舞台
- 山口県
この作品について
1938年(昭和13年)4月、創元社から刊行された中原中也の第二詩集。前年9月に中也自身が原稿をまとめて小林秀雄に託し、10月の死後、友人たちの尽力で世に出た。巻頭に亡き長男文也への献辞を掲げ、「在りし日の歌」と「永訣の秋」の二部に詩を配している。巻末の後記によれば、制作年は1925年から1937年までにわたり、晩年の作だけを集めた本ではない。「含羞」「一つのメルヘン」「月夜の浜辺」「春日狂想」などを収め、過ぎた日の記憶や、人や物が失われることへの思いを、風景、音、身近な動作に託す。語りかけるような口調、同じ音や句の反復、行をまたぐ息づかいが、寂しさだけでは捉えきれない感情の動きを作っている。詩を本職とする覚悟や、東京を離れようとする心境を記した後記も、作者自身による詩集の読み方の手がかりとなる。
あらすじ
「在りし日の歌」「永訣の秋」の二部構成。亡き長男・文也に捧げられた詩集には、「含羞」にはじまり、幼年期や恋の記憶を回想する詩、喪失の悲しみを映す詩などが並ぶ。みずからの死を暗示するかのような「骨」で己の骸を見つめ、望郷の念を映す「北の海」「冬の長門峡」を経て、蛙の声に耳を澄ます「蛙声」で本編を閉じる。巻末には、詩集の原稿を小林秀雄に託し、東京での十三年間の生活に別れを告げて郷里へ帰る心境を綴った「後記」(一九三七年九月二十三日付)が添えられ、詩人が世を去るひと月ほど前の肉声を伝えている。
冒頭部(原文より)
在りし日の歌 含羞 ――在りし日の歌―― なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ 秋 風白き日の山かげなりき 椎の枯葉の落窪に 幹々は いやにおとなび彳ちゐたり
「在りし日の歌」中原中也(青空文庫)
末尾部(原文より)
私は今、此の詩集の原稿を纏め、友人小林秀雄に托し、東京十三年間の生活に別れて、郷里に引籠るのである。別に新しい計画があるのでもないが、いよいよ詩生活に沈潜しようと思つてゐる。 扨、此の後どうなることか……それを思へば茫洋とする。 さらば東京! おゝわが青春! 〔一九三七・九・二三〕
「在りし日の歌」中原中也(青空文庫)
名文
月夜の晩に、ボタンが一つ 波打際に、落ちてゐた。
「月夜の浜辺」の冒頭。拾ったボタンをどうすることもできないまま繰り返しうたい、理由のつかない愛惜だけを残す。
秋の夜は、はるかの彼方に、 小石ばかりの、河原があつて、 それに陽は、さらさらと さらさらと射してゐるのでありました。
「一つのメルヘン」の冒頭。誰もいない河原に降る陽を音のように描き、亡き子への哀しみを澄みきった幻想へ昇華させた晩年の絶唱。
思へば遠く来たもんだ 十二の冬のあの夕べ 港の空に鳴り響いた 汽笛の湯気は今いづこ
「頑是ない歌」の書き出し。少年の日に聞いた汽笛を思い出しながら、そこから遠く隔たってしまった今の自分を振り返る、郷愁に満ちた一節。
ホラホラ、これが僕の骨だ、 生きてゐた時の苦労にみちた あのけがらはしい肉を破つて、 しらじらと雨に洗はれ、 ヌックと出た、骨の尖。
詩「骨」の書き出し。死後の自分の骨を眺めるという奇抜な発想を「ホラホラ」という軽い呼びかけで始め、生の苦しみと滑稽さを同時に描く。
長門峡に、水は流れてありにけり。 寒い寒い日なりき。 われは料亭にありぬ。 酒酌みてありぬ。 われのほか別に、 客とてもなかりけり。 水は、恰も魂あるものの如く、 流れ流れてありにけり。 やがても密柑の如き夕陽、 欄干にこぼれたり。 ああ! ――そのやうな時もありき、 寒い寒い 日なりき。
詩「冬の長門峡」の全編。故郷山口の渓谷の料亭で一人酒を酌む情景を、文語の静かな反復で描く。長男を亡くした悲しみの中で書かれたとされ、深い喪失感がこもる。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。