生と歌(中原中也)のあらすじ・登場人物
あゝ、という叫びから
- 文字数
- 4,227字
- 読了目安
- 約8分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
一九二八年、音楽団体「スルヤ」の機関に載った中原中也の早い時期の文章。表現とは何かを、人が最初に発する「あゝ!」という叫びから説き起こし、音楽の例を引きながら概念や偶像を忘れて感じることを勧める。詩と音楽の両方に近かった若き日の中也の芸術観が表れている。
あらすじ
古代、人がまず表現したかったのは自分自身の叫びだったはずだ、と書き出す。しかし「あゝ!」と叫ぶ代わりに、そう叫ばせた対象を記録しようとしたところから叙事芸術が抒情芸術に先立って発達した、と中也は推測する。そのような態度で作られる表現物は、作られる過程に根本的な無理を抱える。叫びと、叫ばせた対象とは直ちに一致しないからである。論はベートーヴェン、ドビュッシー、フランク、スクリャービンらを例に進み、結びで「座標軸を、概念を、偶像を、他人の眼を忘れよ」と繰り返し、自展的観念が誘起する記憶以外の記憶はただの雑念だと言い切る。
冒頭部(原文より)
古へにあつて、人が先づ最初に表現したかつたものは自分自身の叫びであつたに相違ない。その叫びの動機が野山から来ようと隣人から来ようと、其の他意識されないものから来ようと、一たびそれが自分自身の中で起つた時に、切実であつたに違ひない。蓋し、その時に人は、「あゝ!」と呼ぶにとゞまつたことであらう。
「生と歌」中原中也(青空文庫)
末尾部(原文より)
だから私は繰返していふ、座標軸を、概念を、偶像を、他人の眼を忘れよ!――このことがよく了解された時に、ベートーベンの、ドビュッシイの、フランクの、スクリャビンの、その各々の欠陥を点検する長々しい言葉は無用となる。 忘れよ! 忘れよ! 自展的観念が誘起する記憶以外の記憶は、たゞ雑念に過ぎないものだ。
「生と歌」中原中也(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。