我が詩観(中原中也)のあらすじ・登場人物
死ぬまでに一度は書きたかった詩観
- 文字数
- 6,552字
- 読了目安
- 約13分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
中原中也が自らの詩の考え方を、文学観・世界観と合わせて述べた長めの文章。抒情詩人とは「何も分らぬくせに抒情だけは出来る人間」と見られがちだ、という一般の見方に答える意図で書かれたという。末尾には自身の略年譜とメモが付き、詩作の暮らしぶりも伝える。中也の詩論を知る基本資料。
あらすじ
冒頭で中也は、詩観といっても要するに自分の文学観・世界観の概略であり、今日昨日思いついたことではないと断る。書くに至った動機は、死ぬまでに一度書きたかったという年来の希望と、抒情詩人は何も分からぬのに抒情だけはできる人間だという世間の見方に答えたい思いである。本来ならこの詩観がまとまった十三年ほど前に書くべきだったが、当時は青春で一杯で論文をまとめる気になれなかった、とも述べる。以後、直観と理論の関係などが論じられ、末尾に略年譜が置かれる。そこには昭和十年十二月の『山羊の歌』刊行や、大正四年以来の制作詩約七百篇のうち五百を破棄したこと、毎日夜まで歩き通したことなどが記される。
冒頭部(原文より)
詩観とはいへ、書かんとするのは要するに私の文学観であり、世界観の概略でもあるから、それに今日や昨日に考へ付いたことではないことを書くのであるから、多くの人に読んで貰ひたいものである。 何故之を書くに到つたかといふと、もともと死ぬまでに一度は是非とも書きたいと年来の希望があつたからでもあるが、由来抒情詩人といへば、何にも分らぬくせに抒情だけはどうした拍子でか出来る人間のことだ位に考へてゐるのが一般の有様であり、論議の盛んな当節にあつては、尚更そのやうに考へられる向きも多いので、聊かそれに答へてみたいといふのが、直接の動機である。
「我が詩観」中原中也(青空文庫)
末尾部(原文より)
仝年十二月「山羊の歌」刊行。 昭和十一年六月「ランボオ詩抄」(山本文庫)刊行。 大正四年より現今迄の制作詩篇約七百。内五百破棄。 大正十二年より昭和八年十月迄、毎日々々歩き通す。読書は夜中、朝寝て正午頃起きて、それより夜の十二時頃迄歩くなり。
「我が詩観」中原中也(青空文庫)
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