或旧友へ送る手記(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
自殺前に綴る「ぼんやりした不安」
- 文字数
- 3,366字
- 読了目安
- 約7分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
芥川竜之介が自殺の直前に書き遺した手記。1927年(昭和2年)7月、35歳で自ら命を絶った芥川が、「或旧友」に宛てる形で、自殺者自身の心理をありのままに書きとめようとした一編である。「唯ぼんやりした不安」という有名な言葉で自らの死の動機を語り、いかにして苦痛なく死ぬかを冷徹に見つめた、近代文学史に残る遺稿。
あらすじ
誰もまだ、自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない——芥川はそう書き起こす。彼は「或旧友」に宛てた最後の手紙のなかで、自殺者の心理をはっきり伝えたいと望む。世間は生活難や病苦や精神的苦痛に自殺の動機を見るが、芥川によれば、それは動機の全部ではない。彼自身の場合は「唯ぼんやりした不安」——将来に対する、ただぼんやりした不安なのだと言う。この二年ばかり死ぬことばかり考えつづけた彼は、いかにして苦しまずに死ぬかを冷静に検討し、縊死や溺死や轢死を「美的嫌悪」ゆえに退け、薬品による死を選ぶに至った経緯を、また自殺の場所や家族への配慮までを、静かに、そして残酷なほど正直に書きつづっていく。「僕の今住んでゐるのは氷のやうに透み渡つた、病的な神経の世界である」——生きるために生きる人間の哀れさを見つめ、末期の目に映る自然の美しさを語りながら、芥川は自らの死へと歩んでいく。近代日本文学のひとつの終焉を告げる、あまりに名高い遺稿である。
冒頭部(原文より)
誰もまだ自殺者自身の心理をありのままに書いたものはない。それは自殺者の自尊心や或は彼自身に対する心理的興味の不足によるものであらう。僕は君に送る最後の手紙の中に、はつきりこの心理を伝へたいと思つてゐる。……が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。
「或旧友へ送る手記」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
附記。僕はエムペドクレスの伝を読み、みづから神としたい欲望の如何に古いものかを感じた。僕の手記は意識してゐる限り、みづから神としないものである。いや、みづから大凡下の一人としてゐるものである。君はあの菩提樹の下に「エトナのエムペドクレス」を論じ合つた二十年前を覚えてゐるであらう。僕はあの時代にはみづから神にしたい一人だつた。 (昭和二年七月、遺稿)
「或旧友へ送る手記」芥川龍之介(青空文庫)
名文
少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。
自殺の直前に友人へ託した手記の一節。なぜ死ぬのかという問いへの答えとして書かれ、一個人の理由を超えて大正末期の知識人の心情を言い当てた言葉として読み継がれている。
唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期の目に映るからである。
自殺の動機を「ぼんやりした不安」と記した手記の、終わり近くの一節。死を前にした目にこそ自然は美しく映るという「末期の目」は、のちに川端康成が同名の随筆で取り上げたことでも知られる。
原文を読む
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