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文学のふるさと(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

救いがないこと自体が救いである

坂口安吾 1941年(昭和16年)7月 「現代文學」

文字数
5,143字
読了目安
約10分
表記
新字新仮名

この作品について

ペローの「赤頭巾」——可憐な少女が狼に食べられて終わるだけの、モラルのない童話。坂口安吾はそこに、突き放されたあとに残る「静かな、透明な、ひとつの切ないふるさと」を見る。「堕落論」に先立つ戦時下に書かれ、安吾文学の原理を示した評論として、いまも繰り返し読まれる一編である。

あらすじ

シャルル・ペローの「赤頭巾」は、可愛い少女が森のお婆さんを訪ねると、お婆さんに化けた狼にムシャムシャ食べられてしまう、ただそれだけの話である。童話には普通あるはずの教訓が、この話には全く欠けている。だからフランスでは「アモラル」の代表としてしばしば引き合いに出される——そう安吾は説き起こす。愛くるしく、心が優しく、悪さの何もない少女が食べられて終わる。読者はいきなりそこで突き放され、約束が違ったような戸惑いのなかで、しかし思わず目を打たれて、プツンと切られた空しい余白に、非常に静かな、透明な、ひとつの切ない「ふるさと」を見るのではないか。続いて安吾は、「今昔物語」の芋粥の話や、狂言「ぶす」など、日本の古典にも同じ突き放しがあることを示してゆく。そこには救いも解釈も用意されていない。では生存の孤独とはそのようにむごたらしく救いのないものなのか。いかにも、そうだと安吾は答える。この暗黒の孤独には救いがなく、いつも曠野を迷うだけで救いの家を予期すらできない。そして——「モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります」。私は文学のふるさと、あるいは人間のふるさとをここに見る、文学はここから始まる、と。ただしふるさとは揺りかごであって、大人の仕事はそこへ帰ることではない、とも彼は釘を刺している。

冒頭部(原文より)

 シャルル・ペロオの童話に「赤頭巾」という名高い話があります。既に御存じとは思いますが、荒筋を申上げますと、赤い頭巾をかぶっているので赤頭巾と呼ばれていた可愛い少女が、いつものように森のお婆さんを訪ねて行くと、狼がお婆さんに化けていて、赤頭巾をムシャムシャ食べてしまった、という話であります。まったく、ただ、それだけの話であります。

「文学のふるさと」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。  私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。

「文学のふるさと」坂口安吾(青空文庫)

名文

モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。

救いのない童話や説話を例に挙げて文学の根源を論じる評論の一節。突き放されるような物語の中にこそ、人間の本当の姿が見えると述べる。

私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。

評論の題となった言葉が現れる一節。救いのない物語が読者を突き放すところにこそ、文学の、そして人間の出発点があると語る。

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