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文学と国民生活(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

殉教に濁りを感じる

坂口安吾 1942年(昭和17年)11月 「現代文学」

文字数
1,527字
読了目安
約3分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

1942年、雑誌「現代文学」に載った、坂口安吾の短い随想。キリシタンの殉教の記録を読むと感動すると同時に濁ったものを感じるといい、その理由を、外国人の指導に従った日本人信徒への反感や、視野の狭さに求める。後半では、時局に合わせた小説は書かないが、祖国愛は文学の本性として偽れないので、誠実に書く限り何を書いても間違いはないと自信を語る。戦時下の安吾の考えをうかがえる文章である。

あらすじ

安吾はパジェスの『日本切支丹宗門史』や『鮮血遺書』を読むと、切支丹の夥しい殉教に感動するいっぽう、何か濁ったものを感じて反撥も覚える。潜入した神父や指導者が信徒の殉教を煽るように見えること、抵抗しない掟のために武士が大小を投げ捨てて縛られるような愚直さに、いたましさを覚えるという。当局は斬首や磔では役人まで信者になるため火炙りに、さらに信者が見苦しく逃げ回るよう縄を緩めたが、かえって堂々たる死が多くの信者を生み、二十年目に穴つるしの刑を発明してようやく殉教の荘厳さを封じた。それでも純粋に感動できないのは、彼らが大きな世界の事情を知らないことへの不満と、外国人の指導によって動いていたことへの反感があるからで、理知では割りきれない本性だという。後半、安吾は、自分は時局的な小説を書く気はないが、本性に根を張った祖国愛や日本的性格は文学では偽れないから、誠実に精進する限り何を書いても祖国の人々を誤らせることはないと信じており、作家は人の思惑を気にせず文学に専念すべきだと述べる。

冒頭部(原文より)

 パヂェスの「日本切支丹宗門史」だとか「鮮血遺書」のやうなものを読んでゐると、切支丹の夥しい殉教に感動せざるを得ないけれども、又、他面に、何か濁つたものを感じ、反撥を覚えずにゐられなくなるのである。

「文学と国民生活」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 作家の中には支那事変以来小説が書きにくゝなつたと言ふ人もあるが、僕はあんまりさういふことを気にかけてゐない。何を書いても悪いことなんか書く筈がないと信じてゐるのだ。良いことをしよう、役に立たうとする意識なしに文学は有り得ぬのだから、作家は自信を以てたゞ文学に専念すべきであり、敢て人の思惑は気にかけぬ方がいゝと思ふ。

「文学と国民生活」坂口安吾(青空文庫)

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