智恵子抄(高村光太郎)のあらすじ・登場人物
妻智恵子への愛と喪失の詩集
- 文字数
- 31,208字
- 読了目安
- 約1時間2分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
高村光太郎が1941年(昭和16年)に刊行した詩集。洋画家を志しながら光太郎に嫁いだ妻・智恵子との、出会いから晩年にいたる三十年におよぶ愛の軌跡を、明治末から昭和にかけて書き継いだ詩と短歌、散文によってたどる。「智恵子は東京に空が無いといふ」の「あどけない話」、智恵子の臨終の床をうたった「レモン哀歌」など、清冽で切実な愛の詩篇を収める。純愛の記録として広く読み継がれ、日本の近代詩を代表する詩集の一つに数えられる。
あらすじ
詩集「智恵子抄」は、高村光太郎がその妻・智恵子への愛を、およそ三十年にわたって書きとめた詩と短歌、そして散文によって編まれている。巻頭に置かれた「人に」は、嫁いでゆく「あなた」を引き留める思いを語る詩である。やがて二人は貧しくも純粋な結婚生活に入り、光太郎は「あなたはだんだんきれいになる」と、飾りを棄てて澄んでいく妻の美しさをうたう。「あどけない話」では、「東京に空が無い」と嘆き、故郷・安達太良山の上の青い空こそ「ほんとの空」だと語る智恵子の、都会になじめぬ心が写しとられる。智恵子の病をめぐる詩や短歌には、光太郎の苦悩と愛情が表れる。そして絶唱「レモン哀歌」——臨終の智恵子が、光太郎の手からとったレモンを「がりりと噛んだ」その一瞬、混濁していた意識が正常にかえり、「智恵子はもとの智恵子となり/生涯の愛を一瞬にかたむけた」。末尾には、智恵子との出会いから看取りまでをつづった散文「智恵子の半生」が置かれ、切紙絵に才能を開花させた病床の智恵子の姿までもが記される。一人の女性への愛と、その喪失の悲しみを、これほど清らかに結晶させた詩集はほかにない。
登場人物
- 智恵子 作者の妻。洋画家を志し、のちに心を病んで没する
冒頭部(原文より)
人に いやなんです あなたのいつてしまふのが―― 花よりさきに実のなるやうな 種子よりさきに芽の出るやうな 夏から春のすぐ来るやうな そんな理窟に合はない不自然を どうかしないでゐて下さい
「智恵子抄」高村光太郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
レモン哀歌 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた かなしく白くあかるい死の床で わたしの手からとつた一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ トパアズいろの香気が立つ その数滴の天のものなるレモンの汁は ぱつとあなたの意識を正常にした あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ かういふ命の瀬戸ぎはに 智恵子はもとの智恵子となり 生涯の愛を一瞬にかたむけた
「智恵子抄」高村光太郎(青空文庫)
名文
智恵子は東京に空が無いといふ、 ほんとの空が見たいといふ。
「あどけない話」の冒頭。心を病んでいく妻のつぶやきを、そのまま受け止めて書きとめた夫のまなざしが、澄んだ二行に凝縮されている。
そんなにもあなたはレモンを待つてゐた かなしく白くあかるい死の床で わたしの手からとつた一つのレモンを あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
妻智恵子の臨終をうたった「レモン哀歌」の冒頭。レモンの香気と歯の音だけで、正気の戻る一瞬を鮮やかに留める。
智恵子は見えないものを見、 聞えないものを聞く。
「値ひがたき智恵子」の書き出し。心を病んだ妻を、見えないものを見る存在としてとらえ直し、深い愛と畏敬の念を込めて歌う。
人間商売さらりとやめて、 もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の うしろ姿がぽつんと見える。
「千鳥と遊ぶ智恵子」の一節。九十九里の浜で千鳥と遊ぶ妻の姿に、人の世を離れてしまった寂しさと、どこか清らかな美しさを見る。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。