触覚の世界(高村光太郎)のあらすじ・登場人物
私にとって世界は触覚である
- 文字数
- 4,167字
- 読了目安
- 約8分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
彫刻家高村光太郎が、自分にとって世界は触覚であると述べる短い随筆。ガラスの面の凹凸を指の腹で感じる話から、五官の境界のあいまいさ、彫刻が最も根源的な芸術であることへと進む。彫刻家の目と手を通した感覚の記録として、美術随筆のなかでも読まれる一編。
あらすじ
書き出しは「私は彫刻家である」。そのせいか、私にとってこの世界は触覚だと述べる。触覚は最も幼稚な感覚と言われるが、だからこそ根源的であり、彫刻は最も根源的な芸術である。薬指の腹は磨いた鏡面の凹凸を感じ取り、目を閉じてガラスを撫でると木目の通った桐のサツマ下駄のようで、わずかな長さにも波があるのを知る。五官の境界ははっきりせず、「空はキメが細かい」とも言える。結びでは、時代がどう変わっても残るのは「どうにもこうにもならない根源に立つもの」だけで、それが手応えを持ち、精神を一新させると述べ、「私にとって触覚は恐ろしい致命点である」と締める。
冒頭部(原文より)
私は彫刻家である。 多分そのせいであろうが、私にとって此世界は触覚である。触覚はいちばん幼稚な感覚だと言われているが、しかも其れだからいちばん根源的なものであると言える。彫刻はいちばん根源的な芸術である。 私の薬指の腹は、磨いた鏡面の凹凸を触知する。此は此頃偶然に気のついたことであるが、ガラスにも横縦がある。眼をつぶって普通の玻璃面を撫でてみると、それは丁度木目の通った桐のサツマ下駄のようなものである。磨いた鏡面はさすがにサツマ下駄でもないが、わずか五寸に足りない長さの間にも二つ程の波がある事を指の腹は知るのである。傾斜の感覚を薬指は持っているのであろう。鏡面の波動を感ずる味わいは、丁度船のおだやかなピッチングのようである。少し快よい眩暈を感じさせる程度である。
「触覚の世界」高村光太郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
人生そのものには必ず裸がある。むしろ、眼を転ずれば人生そのままが既に裸だと言えるのであろう。けれど人間の手に成るものは必ずそうとも限らない。人間の手に成る作品を見て、其中に実存する裸の力に触れるのは愉快である。作られ方の力ではない。又その傾向の力ではない。作られ方も傾向も皆充分考慮に値する。けれども考慮は結局時代に関する。動かし難いものを根源に探る触覚が、一番はじめに働き出す。それの怪しいもの、若くは無いものは掴むとつぶれる。いかに弱々しい、又は粗末らしい形をしたものでも此の根源のあるものはつぶれない。詩でいえば、例えばヴェルレエヌの嗟嘆はつぶれない。ホイットマンの非詩と称せられる詩もつぶれない。そんなもののあっても無くてもいい時代が来てもつぶれない。通用しなくても生きている。性格や気質や道徳や思想や才能のあたりに根を置いている作品はあぶない。どうにもこうにもならない根源に立つもの、それだけが手応を持つ。この手応は精神を一新させる。それから千差万別の道が来る。 私にとって触覚は恐ろしい致命点である。
「触覚の世界」高村光太郎(青空文庫)
原文を読む
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