高村光太郎の生涯と代表作
僕の前に道はない
- 生没
- 1883–1956
- 出身
- 東京都
- 文学史
- 耽美派
- Wikipedia
- Wikipedia
略歴
1883年(明治16年)、東京・下谷に生まれる。彫刻家高村光雲の長男。東京美術学校を卒業後、欧米に留学して近代彫刻と西欧の芸術思想を吸収し、帰国後は「パンの会」に加わって耽美的な青春を送った。1914年(大正3年)の詩集「道程」では、自己の生き方を探る思いを口語自由詩で表した。1941年の詩集「智恵子抄」には、洋画家を志した妻・長沼智恵子との愛と、その発病から死までをうたう詩をまとめ、広く読み継がれる詩人となった。白秋や木下杢太郎とは「パンの会」で交流した。ロダンの芸術を学び、彫刻・美術評論・詩の領域を行き来して表現を追求した。彫刻家としても「手」「乙女の像」などの代表作を残す。太平洋戦争下では多くの戦争協力詩を書き、その痛切な自責から、戦後は岩手県花巻郊外の山小屋で七年におよぶ独居自炊の生活を送った。1956年(昭和31年)、肺結核のため73歳で没した。
収録作品
翻訳・現代語訳
- ゴオガンに宛てたフアン ゴツホの手紙(一八八八年) 1921年(大正10年)4月