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緑色の太陽(高村光太郎)のあらすじ・登場人物

芸術家の絶対の自由を求めて

高村光太郎 1910年(明治43年)4月 「スバル」

文字数
5,248字
読了目安
約10分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

高村光太郎が一九一〇年に雑誌『スバル』へ発表した評論。留学から帰ったばかりの青年彫刻家が、芸術家の絶対の自由と個人の人格の権威を高らかに主張した。「緑色の太陽」を描く画家がいても否定しないという一節は、近代日本の芸術論を象徴する言葉として広く引用される。

あらすじ

冒頭、人は案外つまらないところで行き悩むと述べ、日本画家は日本画という名に、西洋画家は油絵具に縛られていると言う。「僕は芸術界の絶対の自由を求めている」と宣言し、芸術家の人格に無限の権威を認めたいと続ける。自分は日本人に生まれたのだから、黙っていても作品には日本人のものが出るのであって、製作の最中に日本という考えはない。そのため世間が重んじる「地方色」にこだわるのは間違いだ、と論じる。人が「緑色の太陽」を描いても否定しないと述べ、日本の作家はあらゆる技巧を遠慮なく使い、非日本的であることを恐れるなと促す。最後は、どんな気儘をしても、死んだ後には日本人にしかできない作品が残る、と結ばれる。

冒頭部(原文より)

 人は案外下らぬところで行き悩むものである。  いわゆる日本画家は日本画という名にあてられて行き悩んでいる。いわゆる西洋画家は油絵具を背負いこんで行き悩んでいる。飛車よりも歩を可愛がるような羽目に自然と立ち至る事もあるのである。その MOTIV(モチフ)を考えるとおかしくはあるが、行き悩んでいる当面の事局を眼鏡の焦点に置いて考えると、かなり惨酷なものに見えないでもない。無意味な混雑と危険な SONDE(測定)の乱用とは、こんな時にすべての芸術家に課せられる重い通行税である。この意味において、今の日本の芸術家ほどその作品に高価な無益の印紙を貼っているものはない。いたものもない。この重税に反抗して芸術界の ANARCHISMUS(アナーキズム)が起らないとも限るまい。が、そういう所から起って来る ANARCHISMUS は反動的のものである。ANARCHIST の ANARCHISMUS ではないのである。

「緑色の太陽」高村光太郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

 僕は混雑した感想を混雑したままに書いてしまった。僕が見ては下らぬ事に考えられて、世間ではかなりに重大視されているいわゆる地方色の事を一言したかったのに過ぎない。僕は日本の芸術家が、日本を見ずして自然を見、定理にされた地方色を顧ずして更に計算し直した色調を勝手次第に表現せん事を熱望している。  どんな気儘をしても、僕等が死ねば、跡に日本人でなければ出来ぬ作品しか残りはしないのである。

「緑色の太陽」高村光太郎(青空文庫)

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