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自分と詩との関係(高村光太郎)のあらすじ・登場人物

彫刻を守るために詩を書く

高村光太郎 

文字数
1,807字
読了目安
約4分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

彫刻家が詩を書く意味を、光太郎自身が説明した文章。先輩から詩を止めて彫刻に専念せよと言われた経験に触れ、詩は彫刻を守るために書くのだと述べる。詩と彫刻の二つの表現に引き裂かれた芸術家の自己分析として興味深い。

あらすじ

冒頭で「私は何を措いても彫刻家である」と宣言する。ところが彫刻家が詩を書く。先輩は、余技に時間を取られるくらいなら彫刻に励んで第一流になれと忠告した。それでも詩を止めないのはなぜか。光太郎は、自分の彫刻を純粋にし、文学の混じるのを防ぎ、彫刻を文学から独立させるために詩を書くのだと答える。自分には彫刻の範囲を逸した表現の欲望があり、それを言葉で吐き出さなければ彫刻が引き受けねばならなくなる。最後は、彫刻が本物になるのは六十歳を越えてからで、詩が安全弁の役割から独立の生命を持つかどうかはもっと後に分かることだろう、と静かに結ぶ。

冒頭部(原文より)

 私は何を措いても彫刻家である。彫刻は私の血の中にある。私の彫刻がたとい善くても悪くても、私の宿命的な彫刻家である事には変りがない。  ところでその彫刻家が詩を書く。それにどういう意味があるか。以前よく、先輩は私に詩を書くのは止せといった。そういう余技にとられる時間と精力とがあるなら、それだけ彫刻にいそしんで、早く彫刻の第一流になれという風に忠告してくれた。それにも拘らず、私は詩を書く事を止めずに居る。

「自分と詩との関係」高村光太郎(青空文庫)

末尾部(原文より)

 詩の世界は宏大であって、あらゆる分野を抱摂する。詩はどんな矛盾をも容れ、どんな相剋をも包む。生きている人間の胸中から真に迸り出る言葉が詩になり得ない事はない。記紀の歌謡の成り立ちがそれを示す。しかし言葉に感覚を持ち得ないものはそれを表現出来ず、表現しても自己内心の真の詩とは別種の詩でないものが出来てしまうという事はある。それ故、詩はともかく言葉に或る生得の感じを持っている者によって形を与えられるのであって、それが言葉に或る生得の感じを持っていない者の胸中へまでも入り込むのである。ああそうだと人々が思うのである。それが詩の発足で、それから詩は無限に分化進展する。私自身のこの一種の詩の分野も、詩の世界は必ず之を抱摂して詩そのものの腐葉土とするに違いないと信じている。  私の彫刻がほんとに物になるのは六十歳を越えてからの事であろう。私の詩が安全弁的役割から蝉脱して独立の生命を持つに至るかどうか、それは恐らくもっと後になってみなければ分らない事であろう。

「自分と詩との関係」高村光太郎(青空文庫)

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