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不可解な失恋に就て(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

五十男の型破りな恋

坂口安吾 1936年(昭和11年)3月 「若草」

文字数
2,272字
読了目安
約5分
表記
新字旧仮名
種別
随筆

この作品について

1936年、雑誌「若草」に載った、坂口安吾の短い一編。恋は自由なようで先人の型をなぞりがちだと論じたうえで、身辺に実際にあった型破りな恋の例として、五十を越えた絵の先生の話を語る。若い弟子の一人に恋した先生が、なぜかわざわざ恋敵になりそうな美青年を散歩の供に加えたのか。周囲の憶測を並べながら、結局答えを出さずに終わる。

あらすじ

安吾はまず、人の恋は千差万別に見えて似通っており、先人の型や通俗文学・映画の型を知らずになぞっていることが多い、恋情は自然で自由なはずが決して自由ではない、と述べる。そこで身辺にあった型破りな実例を挙げる。知人のAは五十を越えた絵の先生で、三十名近い女弟子のなかから五、六人の美少女を連れて盛り場を散歩するのが常だった。ところがある日、先生は美少女の一人に恋をし、それまで加えなかった若く麗しい男性ばかりを散歩の供に加える。そのため入り乱れた恋が動きだし、最も嫉妬に悩んだのは先生だった。町を野獣の形相で走る老紳士の姿が目撃されたりするうちに、先生の意中の美少女は青年の一人と恋をはじめ、やがてその青年と結婚する。先生は散歩をやめ、丸々と肥っていたのが突然痩せ衰える。なぜ先生はわざわざ恋敵を作ったのか、周囲の誰にも分からない。潜在的な自虐の趣味だという者、初恋で戸惑ったのだという者、自分を他人のように感激の対象に捨てたのだという者、愛する人に幸福を与えたかったのだという者がいたが、どの解釈も当てにならない。安吾は、不幸な恋は深刻そうに見えるが、最大の愚は不幸な恋を見習うことだと結ぶ。

冒頭部(原文より)

 人あるところに恋あり、各人各様千差万別の恋愛が地上に営まれてゐることはいふまでもないことであらうが、見方によればどの恋も似寄つたものだといへないことはない。文学や映画の恋の筋書が似寄つたものであるやうに、人生の恋の筋書も似寄つてゐる。あまつさへ人生の恋はむしろ概して先人の型を摸することが甚だ多く、いつぱし自らの情意のままに思ふところを行つた筈が知識高き人にあつても、或ひは若きエルテルの恋を、或ひはドミトリイ・カラマーゾフの粗暴な恋を知らず摸しゐることもあり、一般大衆に至つては通俗文学や映画の恋の型の外に恋することが殆んど不可能にちかい状態ではないのか。  恋情の発するところ自然にして自由なるべきものが、然し決して自由ではない。このことほど型を逃れがたい、又自らの自然の姿勢を失ひ易い不自由なものはほかに少いやうである。  たまたま私の身辺に甚だ型破りな、ちよつと判断に迷ふ恋の実例があつたので、その荒筋を書いてみよう。

「不可解な失恋に就て」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 然りとすれば先生ほど人生の切なさに徹した悲劇役者も稀なんだらうぜと呟く者もゐたが、こんなの尚更当にならない。先生は真の騎士で、愛する人にまことの幸福が与へたかつたのだらうといふ解釈もあらうが、これこそ愈々もつてありさうもないことである。  不幸な恋は深刻さうであるが、必ずしもさういふ理窟はなりたたないだらう。最大の愚、不幸な恋をみならふこと。

「不可解な失恋に就て」坂口安吾(青空文庫)

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