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二葉亭四迷――遺稿を整理して――(内田魯庵)のあらすじ・登場人物

文人に非ずと言った男の謎

内田魯庵 1913年(大正2年)9月 「太陽」

文字数
2,315字
読了目安
約5分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

「文学には常に必ず遊戯分子を伴う」と自ら文人たるを拒んだ二葉亭四迷。その全集の遺稿を整理した内田魯庵が、東洋思想と近代思想の相克に生涯苦しみ、近代を理解しながら近代人になり切れなかった二葉亭の葛藤を見つめる短い評論。

あらすじ

二葉亭四迷全集の完結と追悼会にあたり、遺稿を整理した内田魯庵が、二葉亭が生涯「文人に非ず」と称した理由を考える短い評論。二葉亭が「文学には常に必ず多少の遊戯分子を伴うから死身になれない」と語ったことを手がかりに、その「遊戯分子」への嫌悪が、西鶴や京伝ら東洋の空虚な文学、ひいては幼時から染み込んだ儒教思想に由来すると読み解く。二葉亭は西欧文学に通じ近代思想を十分理解しながら、東洋的思想の傾向を擺脱できず、この相背馳する二つの思想の葛藤が頭を離れなかった。晩年にはかつて随喜したツルゲーネフを空想と軽んじ、トルストイを老人の寝言と嘲ったのもこのためだとする。その不満は文学のみならず政治にも実業にも家庭にも及び、何より自己に対する不満が最大の不満であって、一生はこの葛藤と苦悶の歴史であったと結論づける。国木田独歩・北村透谷の生涯と並べ、二葉亭の一生をさらに一層意味のある「近代的の悶えと艱みの歴史」と位置づける。

登場人物

冒頭部(原文より)

 二葉亭四迷の全集が完結してその追悼会が故人の友人に由て開かれたについて、全集編纂者の一人としてその遺編を整理した我らは今更に感慨の念に堪えない。二葉亭が一生自ら「文人に非ず」と称したについてはその内容の意味は種々あろうが、要するに、「文学には常に必ず多少の遊戯分子を伴うゆえに文学ではドウシテも死身になれない」と或る席上で故人自ら明言したのがその有力なる理由の一つであろう。が、文学には果して常に必ず遊戯的分子を伴うものであろう乎。

「二葉亭四迷――遺稿を整理して――」内田魯庵(青空文庫)

末尾部(原文より)

 明治の文人中、国木田独歩君の生涯は面白かった。北村透谷君の一生もまた極めて興味がある。が、二葉亭の一生はこれらの二君に比べると更に一層意味のある近代的の悶えと艱みの歴史であった。

「二葉亭四迷――遺稿を整理して――」内田魯庵(青空文庫)

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