迎合せざる人――尾崎士郎の文学――(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
迎合しなかった作家への弁護
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- 2,320字
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- 約5分
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- 新字新仮名
この作品について
戦時中に「軍国主義文学の親玉」の観を呈したとされる作家・尾崎士郎の文学を、友人の坂口安吾が弁護し、再評価する短い評論。1948年(昭和23年)4月12日の日付で書かれ、親本は1964年の日本経済新聞に掲載された。安吾は、尾崎が迎合しない側の作家であったと見たうえで、英雄崇拝は侵略の謳歌ではなく、没落の悲愴美へのリリシズムにあったと説く。
あらすじ
日支事変以後、多くの作家が処世的に時局へ迎合したなかで、尾崎士郎はむしろ迎合しない側の作家だった。その彼が太平洋戦争以後に軍国主義文学の親玉のように見られたのには理由があると、安吾は語りはじめる。一九四一年十月、青年作家数十名に徴用令が出たとき、誰よりも打ちひしがれ、戦争を呪っていたのが尾崎だった。彼はフィリピンへ従軍して帰還すると、文壇の王者の位置を与えられた。年長で地位も高く、正直で純粋な性質が人々に評価され、節操を持ち不満を率直に口にする点が軍人に愛されたからである。尾崎の英雄崇拝は、石田三成、ジンギスカン、西郷南洲に見られるように、侵略の雄図ではなく、英雄の悲劇性と没落にそそがれる感傷的な共感であり、その思想に軍国趣味は毛頭なかった。軍部に迎合した作家たちが空虚な時局小説を書く中で、尾崎は自己を偽らず、悲愴美へのリリシズムをそのまま書いて通用した。もし便乗に汲々とする誰かが彼の位置にいたなら、積極的に侵略を謳歌し、文学を戦争宣伝の具に落としていただろう。尾崎が文壇の王者として担がれたのはむしろ賀すべきことだったと、安吾は結ぶ。
冒頭部(原文より)
日支事変以後、言論の圧迫が加わって、多くの作家が処世的に迎合し便乗的作品を書きはじめた時に、尾崎士郎はむしろ迎合しない側の作家であった。 その彼が、太平洋戦争以後に、軍国主義文学の親玉の観を呈したに就ては、次のような理由があった。 一九四一年十月ごろ青年作家何十名かに徴用令のあったとき、その中に加わった数名の知人を私は慰め見送ったが、その中で誰よりも打ちひしがれ、顔色すら蒼ざめて戦争を呪っていたのは尾崎士郎であった。
「迎合せざる人――尾崎士郎の文学――」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
繰り返し附言したい一事は、彼が本来反軍部的であり、非迎合的気質で、不服不満をある点までハッキリ直言し表明した素直な気質が、あべこべに軍人たちに愛好されたということだ。軍人というものは、迎合者よりも、反逆的でも、ある点までズバズバ直言する人間の方を信用もし愛好もするもので、そのために、非迎合的反軍的な尾崎が、むしろそのためにも軍人に担がれるという不思議な結果を生んだ。日本人の性格を歴史的に調べても、この奇怪事が実は極めて一般的な出来事であることを理解せられるであろう。一九四八年四月十二日記。
「迎合せざる人――尾崎士郎の文学――」坂口安吾(青空文庫)
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