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芸術ぎらい(太宰治)のあらすじ・登場人物

映画は芸術であるなかれ

太宰治 1944年(昭和19年)4月 「映画評論」

文字数
2,716字
読了目安
約5分
表記
新字新仮名

この作品について

太宰治の映画をめぐる評論。1944年(昭和19年)4月、雑誌「映画評論」に発表された。小説家の立場から、「芸術的」な雰囲気や傑作意識にとらわれた映画を批判し、「無法松の一生」と「重慶から来た男」を例に、現実をムキになって追いかける映画こそ新しいと述べる。作者の創作観がうかがえる文章でもある。

あらすじ

魯迅の随筆を引いて、映画界で誰も名を知らない自分の文章は何の効き目もないだろうと自嘲しつつ、それでも日本のために書くと作者は断る。映画は芸術であってはならない、と主張する。かつて自分が若い書き手に宛てて、小説は「芸術的」雰囲気をねらってはならず、「正確を期すること」だけが創作の務めだと書いた文章を引き、昨年の暮に見た二つの映画を比べる。「無法松の一生」は、傑作意識に縛られて全体がぐんなりしていて面白くない。「重慶から来た男」は、芸術的でなく、優秀な場面もないが、現実をムキになって追いかけているところが新鮮で面白い。重ねて、映画は「芸術」であってはならぬ、とまじめに言う。

冒頭部(原文より)

魯迅の随筆に、「以前、私は情熱を傾けて支那の社会を攻撃した文章を書いた事がありましたけれども、それも、実は、やっぱりつまらないものでした。支那の社会は、私がそんなに躍起となって攻撃している事を、ちっとも知りやしなかったのです。ばかばかしい。」というような文章があって、私はそれを読んでひとりで声を出して笑ってしまった事があるけれども、私が映画に就いて語る場合も、少しそれと似たような結果になるのではあるまいかと思われる。

「芸術ぎらい」太宰治(青空文庫)

末尾部(原文より)

重ねて言う。映画は、「芸術」であってはならぬ。私はまじめに言っているのである。

「芸術ぎらい」太宰治(青空文庫)

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