帰去来(太宰治)のあらすじ・登場人物
十年ぶりの帰郷を支えた二人
- 家族
- 心理
- 文字数
- 15,477字
- 読了目安
- 約31分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 青森県
この作品について
太宰治が、故郷津軽の生家へ十年ぶりに帰った出来事を描いた短編。東京・品川の洋服屋の北さんと、五所川原の呉服商の中畑さんという、放蕩を重ねた「私」を長年支え続けた二人の恩人への感謝を綴りながら、兄の留守に母や祖母と再会した帰郷の一日を書く。結びには、自分ひとりがのほほん顔でいることへの苦い自省が置かれている。
あらすじ
人の世話になり通しの語り手は、数ある恩人の中から、北さんと中畑さんの二人のことを書き残す。中畑さんは亡き父に愛された五所川原の元番頭で、少年の自分を町中で「修ッちゃあ!」と大声で呼んだ思い出がある。品川の洋服屋の北さんは、東京の大学に入った自分を監督し、兄との間に立って送金を頼み続けてくれた。女と暮らしていた頃も、三十歳の結婚式の日も、二人は金と着物を整え、無一文の語り手に紙幣をそっと渡してくれた。ある夏、北さんが、兄の許しはないが自分の一存で故郷の家へ連れて行くと言い出す。十年前の事件で出入りできない身の語り手は気が重いが、北さんの熱意に押され、兄の留守の津軽へ向かう。五所川原で中畑さんに迎えられ、金木の生家で母や八十五歳の祖母、嫂、次兄の英治に迎えられて、父の墓にも参る。その夜、叔母の家で母に原稿料の話をするが、本屋だと思われている。北さんは電報で急に帰京し、二箇月ほどのち、街で会った北さんは盲腸炎で痩せ細っていた。語り手は、自分の悪徳が北さんの寿命を十年縮めたのだと思いながら、相変わらず、のほほん顔の自分を省みる。
登場人物
- 私 津軽出身の作家。語り手
- 北さん 品川の洋服屋。私を長年見守る
- 中畑さん 五所川原の呉服商。亡父に愛された元番頭
- 英治 私の次兄
- 祖母 八十五歳。陽気な人
冒頭部(原文より)
人の世話にばかりなって来ました。これからもおそらくは、そんな事だろう。みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で、生きて来ました。これからも、やっぱり、のほほん顔で生きて行くのかも知れない。そうして、そのかずかずの大恩に報いる事は、おそらく死ぬまで、出来ないのではあるまいか、と思えば流石に少し、つらいのである。 実に多くの人の世話になった。本当に世話になった。 このたびは、北さんと中畑さんと二人だけの事を書いて置くつもりであるが、他の大恩人の事も、私がもすこし佳い仕事が出来るようになってから順々に書いてみたいと思っている。今はまだ、書きかたが下手だから、ややこしい関係の事など、どうしても、うまく書けないのではあるまいかというような気がするのであるが、その点、北さんと中畑さんの事ならば、いまの私の力でもってしても、わりあい正確に書けるのではなかろうかと思うのである。
「帰去来」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
その旅行の二箇月ほど後に、私は偶然、北さんと街で逢った。北さんは、蒼い顔をして居られた。元気が無かった。 「どうしたのです。痩せましたね。」 「ええ、盲腸炎をやりましてね。」 あの夜、青森発の急行で帰京したが、帰京の直後に腹痛がはじまったというのである。 「そいつあ、いけない。やっぱり無理だったのですね。」私も前に盲腸炎をやった事がある。そうして過労が盲腸炎の原因になるという事を、私は自分のその時の経験から知っていた。「なにせあの時の北さんは、強行軍だったからなあ。」 北さんは淋しそうに微笑んだ。私は、たまらない気持だった。みんな私のせいなんだ。私の悪徳が、北さんの寿命をたしかに十年ちぢめたのである。そうして私ひとりは、相も変らず、のほほん顔。
「帰去来」太宰治(青空文庫)
名文
人の世話にばかりなって来ました。これからもおそらくは、そんな事だろう。みんなに大事にされて、そうして、のほほん顔で、生きて来ました。
太宰『帰去来』の書き出し。世話になった恩人たちへの感謝と、それに報いられない自分への負い目を、率直に語り始める。
原文を読む
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