戯作者文学論――平野謙へ・手紙に代えて――(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
小説が生まれる日記を公開
- 文字数
- 15,383字
- 読了目安
- 約31分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
1947年(昭和22年)、雑誌「近代文学」に発表された坂口安吾の文章。評論家の平野謙から「戯作者文学論」を求められた安吾が、小説『女体』を書き進める二十日ほどの日記をそのまま示し、「私にとって小説がなぜ戯作であるのか」を答えとして差し出す。筋も結末も決めず、人物が生まれて動きだすのを待つ作家の仕事の内側と、当時の文壇での暮らしが記録されている。
あらすじ
冒頭で安吾は、日記を発表するのを迷ったと述べる。これは『女体』を書きながら、小説がどう作られてゆくかを意識的に書きとめた日録であり、平野謙が求めた「戯作者文学論」への返事でもある。自分はただの戯作者、物語作者にすぎないが、その戯作に生存を賭けている、と安吾は言う。この春、漱石の長篇を読み、肉体を生活していない「知性のイミテーション」が第一級の文学とされることに憤り、夫婦の心と肉体のつながりを当然の姿で歩ませる小説を書こうと決めた、という執筆の動機も語られる。以下は七月八日から二十九日までの日記で、暑さの中で何度も書き出しをやり直し、書けない日には散歩や読書で時間を浪費し、原稿依頼や来客、酒の誘いに応じながら、谷村夫妻、岡本、素子といった人物がだんだんはっきりしてくる様子が記される。作中人物が紙の上で自然に生活しはじめるのを待つこと、思考が窮屈になったら時間を浪費してみること、そうした日々の積み重ねが、安吾の考える小説づくりである。
冒頭部(原文より)
この日記を発表するに就ては、迷った。書く意味はあったが、発表する意味があるかどうか、疑った。 この日記を書いた理由は日記の中に語ってあるから重複をさけるが、私が「女体」を書きながら、私の小説がどういう風につくられて行くかを意識的にしるした日録なのである。私は今迄日記をつけたことがなく、この二十日間ほどの日記の後は再び日記をつけていない。私のようにその日その日でたとこまかせ、気まぐれに、全く無計画に生きている人間は、特別の理由がなければ、とても日記をつける気持にならない。
「戯作者文学論――平野謙へ・手紙に代えて――」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
酔っ払うと、急に、大いに「女体」に自信満々たるように亢奮しだしたから、無茶で、私は酒を飲まないうちは、ともかく精一杯の仕事だった、と、むしろやや悲痛にちかい感慨で、暗く考えていたのであった。酒は無茶だ。不当に気が強くなる。ずいぶん「女体」を威張って、二人のききてを悩ましたようだ。若園君、私の家へ泊る。むりに引っぱってきたのだ。三、四日分のパンを焼いて貰う魂胆なのだ。一人になったら、実に落付いて気持がいいが、食事だけ困るのだ。
「戯作者文学論――平野謙へ・手紙に代えて――」坂口安吾(青空文庫)
原文を読む
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