魏志倭人伝(陳寿)のあらすじ・登場人物
女王卑弥呼の国を記す
- 歴史
- 文字数
- 2,355字
- 読了目安
- 約5分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 福岡県
- 佐賀県
- 長崎県
この作品について
西晋の陳寿が編んだ中国の史書『三国志』のうち、「魏書」東夷伝の倭人の条を、日本では通称して「魏志倭人伝」と呼ぶ。三世紀の日本列島の様子を伝える、まとまった記述としては最も古いものの一つである。帯方郡から海を渡り、対馬国・一大国・末盧国・伊都国などを経て女王の都する邪馬壹国(邪馬台国)に至る道のり、倭人の風俗や産物、女王卑弥呼が立てられたいきさつと魏への遣使を、簡潔な漢文で記す。本文は句読点を施した漢文(白文)で、訓読や訳は付いていない。邪馬台国の所在をめぐる議論の出発点として、日本史の授業でも必ず触れられる文献である。
あらすじ
倭人は帯方郡の東南の大海のなかにあり、山や島に依って国や村をつくる、と書き起こされる。もとは百余国に分かれ、いま使者や通訳が通うのは三十国である。帯方郡から海岸に沿って韓の国々を過ぎ、狗邪韓国から海を渡って対馬国、一大国、末盧国に至り、陸路で伊都国、奴国、不弥国へ、さらに水行して投馬国、そして水行十日・陸行一月で女王の都する邪馬壹国に至る道のりと、各国の官名や戸数が記される。続いて、男子が顔や体に入れ墨をし、海に潜って魚や貝をとること、衣服や髪の結い方、稲や麻を植え蚕を飼うこと、温暖で冬も夏も生野菜を食べること、骨を焼いて吉凶を占うこと、人々が長寿で酒を好み、身分の上下に従って敬うことなど、倭の風俗が詳しく描かれる。倭国はもと男王が治めていたが、乱れて攻め合いが続いたため、一人の女子を共に立てて王とした。名を卑弥呼といい、鬼道に仕えて人々を惑わし、夫はなく、弟が国の政治を助けている。景初二年(239年)、卑弥呼は大夫の難升米らを魏に遣わし、魏の皇帝は卑弥呼を「親魏倭王」として金印紫綬を授け、銅鏡百枚などを下賜した。その後も使者の往来が続き、狗奴国の男王との争いが報告される。卑弥呼が死ぬと大きな塚がつくられ、男王が立ったが国中が服さず、卑弥呼の一族の娘で十三歳の壹与が王に立てられて国はようやく治まった。
登場人物
- 卑弥呼 倭の女王。鬼道に仕え、魏に使いを送って親魏倭王とされる
- 難升米 卑弥呼が魏に遣わした大夫
- 壹与 卑弥呼の一族の娘。十三歳で王に立てられる
冒頭部(原文より)
倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國。漢時有朝見者、今使譯所通三十國。從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國七千餘里。始度一海千餘里、至對馬國、其大官曰卑狗、副曰卑奴母離、所居絶島、方可四百餘里、土地山險、多深林、道路如禽鹿徑、有千餘戸、無良田、食海物自活、乘船南北市糴。
「魏志倭人伝」陳寿(青空文庫)
末尾部(原文より)
卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、徇葬者奴婢百餘人。更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人。復立卑彌呼宗女壹與年十三爲王、國中遂定。政等以檄告喩壹與、壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人、送政等還、因詣臺、獻上男女生口三十人、貢白珠五千孔・青大勾珠二枚・異文雜錦二十匹。
「魏志倭人伝」陳寿(青空文庫)
名文
倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國。
『三国志』魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)の冒頭。倭人が帯方郡の東南の大海中の島に国々をなす、と日本列島の姿を伝える最古級の記録。
倭國亂、相攻伐歴年、乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼、事鬼道、能惑衆、
倭国の乱の後、一人の女子を王に共立したという記述。名を卑弥呼といい、鬼道を事とし、よく衆を惑わしたと伝える。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日・陸行一月
女王が都する邪馬壹国(邪馬台国)への道のりを記した一文。その所在をめぐる論争は、今も続いている。
原文を読む
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