ぐうたら戦記(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
飲んだくれの戦時日記
- 文字数
- 12,142字
- 読了目安
- 約24分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 神奈川県
この作品について
1947年(昭和22年)、雑誌「文化展望」に発表された坂口安吾の随筆。題名どおり、自分は「類例の少いグウタラな人間」として戦争の年月をだらしなく暮らした、という回想。太平洋戦争が始まった日に小田原で友人のペンキ屋ガランドウとマグロを食って焼酎を飲んでいた思い出を軸に、取手の町での川遊びや酒の話などを交え、国の運命と、一人の飲んだくれの生活が妙にかみ合わないおかしさを綴る。
あらすじ
日支事変の起きたとき京都にいた「私」は、翌年東京へ戻り、取手、小田原と転々としたのち、再び東京に住んだ。冬、小田原の友人ガランドウのもとにドテラを取りに行った翌朝、太平洋戦争が始まっていた。ラジオもなく、仏印と泰国の国境の小競り合いぐらいにきき流していたが、床屋へ行こうと外へ出て、戦争のビラに茫然とする。国の運命に理屈はいらない。私は国土を愛していたから、国土とともに死ぬ時が来たと思った。そのくせ私は酒が飲めるうちは飲み、飲めなければ碁会所に通い、防空演習にも出ず、近所からは気違いだと思われて無事に戦争を過ごした。この日はガランドウと二宮までマグロを買いに行き、焼酎を飲んで別れた。戦争を話題にする人は一人もいなかった。回想は取手時代へ飛び、利根川の鉄橋の下の小舟、溺れ死んだ父子と川底をさぐる大人たちの騒ぎが語られる。やがて話は小田原の一日に戻り、八月十五日に終戦の詔勅を聞きながら思いだしたのはこの日のことだったと「私」は結ぶ。誰よりもだらしなく戦争の年月を暮らした「私」の胸のなかでは、戦争はまだだらしなく吹き荒れているのである。
冒頭部(原文より)
支那事変の起つたとき、私は京都にゐた。翌年の初夏に東京へ戻つてきて、つづいて茨城県利根川べりの取手といふ町に住み、寒気に悲鳴をあげて小田原へ移り、留守中に家が洪水に流されて、再び東京へ住むやうになり、冬がきて、泥水にぬれたドテラを小田原のガランドウといふ友人のもとに残してきたのを取りに行つた。翌朝小田原で目をさましたら太平洋戦争が始つてゐたので、田舎の町では昼は電気のこない家が多いのでラヂオもきこえず、なんだか戦争が始まつたやうだよ、などとガランドウのオカミサンが言ふのを、仏印と泰国の国境あたりの小競合だらうぐらゐにきゝ流してゐた。
「ぐうたら戦記」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
長い戦争の年内を通観して、やつぱりこの日は最も忘れ得ぬ日であり、なつかしい日だ。八月十五日に終戦の詔勅をきゝながら思ひだしたのは言ふまでもなくこの日のことで、時刻も其の正午、生きて戦争を終らうとは考へてゐなかつた。とはいへ、無い酒をむりやり探して飲んだくれ、誰よりもダラシなく戦争の年内を暮した私であつた。そして戦争はまだだらしなく私の胸の中にだけ吹き荒れてゐるのである。
「ぐうたら戦記」坂口安吾(青空文庫)
原文を読む
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