八犬伝談余(内田魯庵)のあらすじ・登場人物
馬琴と八犬伝を論じ尽くす
- 文字数
- 21,900字
- 読了目安
- 約44分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
幼時から『南総里見八犬伝』に親しんだ内田魯庵が、二十八年をかけ失明後も口授で完成させた馬琴の大労作を論じる。作の構成と結末、両管領合戦記の拙さ、鉄砲の時代錯誤など歴史地理の穿鑿、日記から見える馬琴の気難しい人物までを縦横に語り、橋本蓉塘の漢詩二十四首を人物解題として結ぶ、味わい深い作品論。
あらすじ
内田魯庵が、曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』を六つの角度から論じた作品論。まず、外曾祖父が馬琴の作を筆写して大切にした家に育ち、幼時から挿絵に親しんで犬士の名を諳んじた自らの読書体験を語り、二十八年・百六冊にわたって当初の立案どおり完成させた馬琴の大根気を古今独歩と讃える。特に失明後も口授と代筆で少しも意気の衰えぬまま書き継いだ苦辛惨憺を、早稲田大学に残る原稿とともに紹介し、真に尊敬に値すると説く。総括評では、『八犬伝』は八犬具足の百七十一回で終わるのが本来で、両管領との合戦記は『三国志』『水滸伝』の踏襲で最も拙いとし、道節や船虫に人間味を認め、馬琴が忠臣孝子よりも悪漢淫婦を描くに長けていたと指摘する。歴史地理の章では、長禄の田舎武士が鉄砲を持つ時代錯誤や江戸城の扱いなどを俎上に載せ、馬琴の考証を過度に持ち上げる贔屓を戒める。さらに馬琴の日記から、些細な家事にも際限なくこだわる気難しい偏屈者ぶりや京伝・京山との確執を描き、それでも作家として日本が生んだ最大者であることは動かぬ定説だとする。最後に橋本蓉塘が八犬伝の人物を詠んだ七律二十四首を人物解題として抄録し、余談を結ぶ。
登場人物
- 曲亭馬琴(きょくていばきん) 滝沢馬琴。『南総里見八犬伝』を二十八年かけて著し、失明後も口授で完成させた。気難しい偏屈者としても知られた。
- 山東京伝(さんとうきょうでん) 馬琴が若い頃頼った先輩作家。のち馬琴と競い合う関係となった。
- 橋本蓉塘(はしもとようとう) 八犬伝の人物を詠んだ七律二十四首の作者。
- 内田魯庵(うちだろあん) 著者。幼時から『八犬伝』に親しんだ。
冒頭部(原文より)
昔は今ほど忙しくなくて、誰でも多少の閑があったものと見える。いわゆる大衆物はやはり相応に流行して読まれたが、生活が約しかったのと多少の閑があったのとで、買うよりは貸本屋から借りては面白いものは丸写しか抜写しをしたものだ。殊に老人のある家では写本が隠居仕事の一つであったので、今はモウ大抵潰されてしまったろうが私の青年時代には少し旧い家には大抵お祖父さんか曾祖父さんとかの写本があった。私の外曾祖父の家にも馬琴の『美少年録』や『玉石童子訓』や『朝夷巡島記』や『侠客伝』があった。畢竟するに馬琴に傾倒した愛読の情が溢れたからであるというほかはない。
「八犬伝談余」内田魯庵(青空文庫)
末尾部(原文より)
橋本蓉塘翁がかつてこの人物を咏題として作った七律二十四篇は、あたかも『八犬伝』の人物解題となっておる。抄して以て名篇を結ぶのシノプシスとする。以上二十四首は『蓉塘集』中の絶唱である。漢詩愛誦家の中にはママ諳んずるものもあるが、小説愛好者、殊に馬琴随喜者中に知るものが少ないゆえ抄録して以てこの余談を結ぶ。
「八犬伝談余」内田魯庵(青空文庫)
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