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I can speak(太宰治)のあらすじ・登場人物

甲府の夜に響く弟の英語

太宰治 1939年(昭和14年)2月 「若草」

文字数
1,936字
読了目安
約4分
表記
新字新仮名
種別
随筆
舞台
  • 山梨県

この作品について

太宰治が1939年(昭和14年)、雑誌「若草」に発表した掌編。歌の道に行きづまり、御坂峠から甲府へ移って小説を書いていた「私」が、下宿の向かいの製糸工場から聞こえてくる女工の澄んだ歌声に、日々ひそかに救われている——そんなある冬の夜、酔った若者が姉に「I can speak English」と得意げに叫ぶ声を耳にする。夜学に通い、やがて出征するかもしれぬと語るその純真な声が、忘れかけていた歌のこころを「私」の胸によみがえらせる。「富嶽百景」と同時期の甲府滞在から生まれた、しみじみと美しい小品である。

あらすじ

歌を捨て、東京で無為に過ごしていた「私」は、やがて自分の文学の進む道をおぼろげにつかみ、長篇小説に取りかかる。甲州御坂峠の茶屋の二階でその仕事を進めるうち、冬の寒さに耐えかねて甲府の町はずれの下宿へ移った。日当たりのよい一室で机に向かっていると、小路を隔てた製糸工場から、女工たちの合唱が聞こえてくる。中にひときわ澄んだいい声があって、「私」はペンを休めては聞き入り、その声の主に礼を言いたいとまで思う。二月のある寒い夜、工場の小路で酔った若者の荒々しい声が起こる。姉である女工に向かって、彼は「I can speak English」とくり返し叫ぶ。おふくろにも内緒で夜学に通っていること、いまに出征するかもしれぬこと、自分はいい子だろうと、たどたどしくも懸命に訴えるのだ。障子を細めに開けて見下ろすと、季節はずれの白いレインコートを着た若者が塀に背をつけて立ち、その上の窓から姉が身を乗り出して弟を見つめている。「I can speak」というその酔った英語が、くるしいほど「私」の胸を撃つ。〈はじめに言葉ありき〉——ふと「私」は、忘れていた歌を思い出したような気がするのだった。たあいない一場の風景を、忘れがたい詩情へと昇華させた太宰の佳品である。

冒頭部(原文より)

 くるしさは、忍従の夜。あきらめの朝。この世とは、あきらめの努めか。わびしさの堪えか。わかさ、かくて、日に虫食われゆき、仕合せも、陋巷の内に、見つけし、となむ。  わが歌、声を失い、しばらく東京で無為徒食して、そのうちに、何か、歌でなく、謂わば「生活のつぶやき」とでもいったようなものを、ぼそぼそ書きはじめて、自分の文学のすすむべき路すこしずつ、そのおのれの作品に依って知らされ、ま、こんなところかな? と多少、自信に似たものを得て、まえから腹案していた長い小説に取りかかった。

「I can speak」太宰治(青空文庫)

末尾部(原文より)

 I can speak というその酔漢の英語が、くるしいくらい私を撃った。はじめに言葉ありき。よろずのもの、これに拠りて成る。ふっと私は、忘れた歌を思い出したような気がした。たあいない風景ではあったが、けれども、私には忘れがたい。  あの夜の女工さんは、あのいい声のひとであるか、どうかは、それは、知らない。ちがうだろうね。

「I can speak」太宰治(青空文庫)

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