人生(夏目漱石)のあらすじ・登場人物
人生は理窟にまとまらない
- 文字数
- 3,690字
- 読了目安
- 約7分
- 表記
- 新字旧仮名
この作品について
小説家として立つ以前、熊本の第五高等学校教師時代に書かれた、漢文脈の濃い評論。「事物の変遷推移を名づけて人生といふ」という定義から始めて、小説は人生の一側面を写すにすぎず、人の心には作者の窺い知れぬ底なしの領域があると説く。犬に吠えられて自分は泥棒かと疑う話、富士川の水鳥の羽音に逃げ帰った平家の大軍——人が自分自身をも解釈しきれないことを、次々と例を挙げて突きつける。
あらすじ
空を劃しているものを物といい、時に沿って起こるものを事という。事物を離れて心なく、心を離れて事物はない。ゆえに事物の変遷推移を名づけて人生という——漱石は堅苦しい定義を掲げ、すぐに平仮名に翻訳してみせる。地震・雷・火事・親父の怖さを悟り、砂糖と塩の区別を知り、恋の重荷や義理の柵という意味を合点し、順逆の二境を踏み、禍福の二門をくぐる、その謂に過ぎない。しかし十人には十人の生活、百人には百人の生活があり、遭逢は百端千差万別で、数え来れば日も足りぬ錯雑なものである。……小説はこの錯雑な人生の一側面を写すものだ、と漱石は言う。エリオットを読んで天性の悪人なきことを知り、サッカレーを読んで正直者の馬鹿を見ることを知る。だが小説が写しうるのは一側面にすぎない。デ・クインシーの「世には人心の如何に善にして、又如何に悪なるかを知らで過ぐるものあり」という言葉を引いて、漱石はこう反問する——君は君自身がどの位の善人で、どの位の悪人か承知しているのか、と。犬に吠えつかれて自分は泥棒かと結論する者は余程の馬鹿だが、賢者を以て自ら任ずる者もまたこの病にかかる。源氏征討の宣旨を蒙って富士川まで押し寄せた七万余騎が、水鳥の羽音に一矢も射ずに逃げ帰った——誰がその臆病風の行方を知ろう。人生は一個の理窟にまとめ得るものではなく、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎないのである。
冒頭部(原文より)
空を劃して居る之を物といひ、時に沿うて起る之を事といふ、事物を離れて心なく、心を離れて事物なし、故に事物の変遷推移を名づけて人生といふ、猶麕身牛尾馬蹄のものを捉へて麟といふが如し
「人生」夏目漱石(青空文庫)
末尾部(原文より)
人生は一個の理窟に纏め得るものにあらずして、小説は一個の理窟を暗示するに過ぎざる以上は、「サイン」「コサイン」を使用して三角形の高さを測ると一般なり、吾人の心中には底なき三角形あり、二辺並行せる三角形あるを奈何せん
「人生」夏目漱石(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。