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十本の針(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物

鴉は孔雀になれない

芥川龍之介 1927年(昭和2年)9月 「文藝春秋」

文字数
2,170字
読了目安
約4分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

「侏儒の言葉」に連なる、死の直後に発表された十篇のアフォリズム。直覚するとともに解剖してしまう人々、祖先を宿すわたしたち、孔雀になれない鴉、空中に捉えた花束としての科学と芸術。短い断章が並ぶだけだが、いずれも刃のように鋭く、「生まれざりしならば」という言葉が投げ出される冒頭からして容赦がない。遺稿として残された、芥川最後期の思考の断片。

あらすじ

「ある人々」——わたしはこの世の中にある人々のあることを知っている。それらの人々は何ごとも直覚するとともに解剖してしまう。一本の薔薇の花は、美しいと同時に植物学の教科書中の薔薇科の植物に見えるのである。ただ直覚する人々のほうが幸福であって、彼らは一生を恐ろしい遊戯のうちに用い尽くす。「生まれざりしならば」という言葉は正に彼らに当たっている。「わたしたち」——わたしたちは必ずしもわたしたちではない。祖先はことごとくわたしたちのうちに息づいており、それに従わなければ不幸に陥る。「わたしたち自身を発見する」とは、うちにいる祖先を発見することである。……以下、「鴉と孔雀と」では、わたしたちがついにわたしたちを超えられないという事実が突きつけられる。鴉はいつになっても孔雀にはなれず、ある詩人の書いた一行の詩はいつも彼の詩の全部である。「空中の花束」では、科学も芸術も、精神的飛躍の空中に捉えた花束にすぎないという。「2+2=4」「天国」「懺悔」「又ある人びと」「声」と断章は続き、最後の「言葉」では、わたしたちが気持ちを容易に他人に伝えられないこと、「彼」の言葉を理解するのはいつも「第二の彼」であろうこと、しかしその「彼」もまた植物のように生長していることが語られる。

冒頭部(原文より)

     一 ある人々  わたしはこの世の中にある人々のあることを知っている。それらの人々は何ごとも直覚するとともに解剖してしまう。つまり一本の薔薇の花はそれらの人々には美しいとともにひっきょう植物学の教科書中の薔薇科の植物に見えるのである。現にその薔薇の花を折っている時でも。……

「十本の針」芥川龍之介(青空文庫)

末尾部(原文より)

 いや、ある時代の彼自身さえ他の時代の彼自身には他人のように見えるかもしれない。が、幸いにも「第二の彼」は「彼」の言葉を理解したと信じている。 (昭和二年七月) 〔遺稿〕

「十本の針」芥川龍之介(青空文庫)

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