アプリで読む

無料・登録不要

関東防空大演習を嗤う(桐生悠々)のあらすじ・登場人物

帝都は焦土と化す——十二年前

  • 社会

桐生悠々 1933年(昭和8年)8月 「信濃毎日新聞」

文字数
1,846字
読了目安
約4分
表記
新字新仮名

この作品について

一九三三年(昭和八年)八月、信濃毎日新聞主筆・桐生悠々が書いた社説。関東一帯で行われた大規模な防空演習を「一のパッペット・ショーに過ぎない」と一蹴し、敵機を帝都の空で迎え撃つこと自体が敗北だと断じた。軍部の反発を招き、悠々は信毎を追われることになる。

あらすじ

昭和八年八月、関東一帯の空で大規模な防空演習が行われ、その模様はラジオで全国に放送された。桐生悠々は二日後の社説で、これを正面から論じる。もしこれが実戦であったなら、我が機の総動員をもってしても敵機のすべてを撃ち落とすことはできない。討ち漏らされた二、三機が帝都上空に至って爆弾を投下すれば、木造家屋の多い東京は一挙に焦土と化すだろう。いかに冷静なれ沈着なれと言い聞かせても、まさかの時には恐怖の本能はいかんともしがたく、逃げ惑う市民、各所に起こる失火、そして関東大震災当時と同様の阿鼻叫喚が現出するに違いない——。だから敵機を関東の空に、帝都の空に迎え撃つということは、それ自体が我が軍の敗北そのものなのだ、と悠々は書く。撃退すべきは途中の海上であり、帝都上空での迎撃を最初から予定するような作戦計画は滑稽である、と。演習は壮観ではあるが要するに人形芝居にすぎず、赤外線の軍事利用が進めば灯火管制すら意味を失う、という指摘も加えられている。十二年後の東京大空襲をほとんど正確に言い当てたこの一文は在郷軍人会の不買運動を招き、悠々は信濃毎日新聞を退社。以後は名古屋郊外で個人雑誌「他山の石」を出し、死の直前まで軍部批判を続けた。

冒頭部(原文より)

 防空演習は、曾て大阪に於ても、行われたことがあるけれども、一昨九日から行われつつある関東防空大演習は、その名の如く、東京付近一帯に亘る関東の空に於て行われ、これに参加した航空機の数も、非常に多く、実に大規模のものであった。そしてこの演習は、AKを通して、全国に放送されたから、東京市民は固よりのこと、国民は挙げて、若しもこれが実戦であったならば、その損害の甚大にして、しかもその惨状の言語に絶したことを、予想し、痛感したであろう。

「関東防空大演習を嗤う」桐生悠々(青空文庫)

末尾部(原文より)

こうした観点からも、市民の、市街の消灯は、完全に一の滑稽である。要するに、航空戦は、ヨーロッパ戦争に於て、ツェペリンのロンドン空撃が示した如く、空撃したものの勝であり空撃されたものの敗である。だから、この空撃に先だって、これを撃退すること、これが防空戦の第一義でなくてはならない。

「関東防空大演習を嗤う」桐生悠々(青空文庫)

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

青空文庫の図書カード

近い作品