硯友社の勃興と道程――尾崎紅葉――(内田魯庵)のあらすじ・登場人物
紅葉と硯友社の興亡を語る
- 文字数
- 31,477字
- 読了目安
- 約1時間3分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
尾崎紅葉を総帥に、明治の文壇を席巻した硯友社。その発祥の地・飯田町中坂から説き起こし、『我楽多文庫』『新著百種』による勃興、眉山・漣・眉山ら才人群像、党を率いた紅葉の政治的手腕とその全盛から凋落までを、同時代を並走した内田魯庵が内側から描く長編の文壇回想。
あらすじ
内田魯庵が、明治の文壇に一大勢力を築いた尾崎紅葉と硯友社の興亡を、同時代の傍観者の目で描いた長編回想。馬琴の旧居のある飯田町中坂を硯友社の発祥地として語り起こし、石橋思案・山田美妙・尾崎紅葉の三人が創刊した回覧雑誌『我楽多文庫』から、党を結束して文壇へ乗り出す過程を追う。抜け駆けの功名に逸って孤立した美妙と、多数の応援隊を率いて団体的に勢力を伸ばした紅葉とを対比し、黄鶴楼の文士劇、『新著百種』で紅葉『色懺悔』が美妙に取って代わり露伴『風流仏』を世に送ったこと、薄倖の作家北村三唖、才人・巌谷小波、美貌の川上眉山の悲運などの人物挿話を織り込む。硯友社を「文壇の政友会」と評し、紅葉の統率力を原敬以上と讃えつつ、赤門派・早稲田派の台頭と紅葉の死による凋落を跡づける。外国文学に暗いと説きながら自らはゾラを愛読した紅葉の複雑な性格、そして死の間際にも高価な大辞典を求めた最後の逸話を伝え、「真に文豪の器であって決してただの才人ではなかった」と結ぶ。
登場人物
- 尾崎紅葉(おざきこうよう) 硯友社の総帥。『色懺悔』『金色夜叉』の作者。党を率いて明治の文壇を席巻した。
- 石橋思案(いしばししあん) 中坂思案外史。硯友社の創立者の一人で『我楽多文庫』巻頭の辞を書いた。
- 山田美妙(やまだびみょう) 硯友社の創立者の一人。早く抜け駆けして孤立した。
- 巌谷小波(いわやさざなみ) 漣山人。硯友社の才人。のちお伽噺の大家となる。
- 川上眉山(かわかみびざん) 文壇随一の美貌の作家。悲運の最期を遂げた。
- 北村三唖(きたむらさんあ) 薄倖の作家。『石倉新五左衛門』一作を残した。
- 内田魯庵(うちだろあん) 著者。硯友社の外にあって同時代を並走した。
冒頭部(原文より)
震災で破壊された東京の史蹟のその中で最も惜まれる一つは馬琴の硯の水の井戸である。馬琴の旧棲は何度も修繕されて殆んど旧観を喪ってるから、崩壊しても惜くないが、台所口の井戸は馬琴の在世時のままだそうだから、埋められたと聞くと惜まれる。が、井戸だから瓦や土砂で埋められても旧容を恢復するのは容易である。 この馬琴の硯の水の井戸は飯田町の中坂の中途、世継稲荷の筋向いの路次の奥にある。中坂といっても界隈の人を除いては余り知る者もあるまいが、九段の次の険しい坂である。 不思議にもこの中坂は文豪馬琴の史蹟であると共にまた、明治の文学史に一エポックを作った硯友社の発祥地でもある。
「硯友社の勃興と道程――尾崎紅葉――」内田魯庵(青空文庫)
末尾部(原文より)
有体にいうと、私は紅葉の著作には世間が騒ぐほどに感服していなかった。その生活や態度や人物にも慊らなく思う事が多かった。私が文学のためというよりは実は紅葉のために常に苦言を反覆したのは畢竟紅葉の才の凡ならざるを惜んで玉成したかったためであるが、これがために紅葉から含まれて心にもなく仲違いするようになった。が、瀕死の瀬戸際に臨んでも少しも挫けなかった知識の向上慾の盛んなるには推服せざるを得なかった。紅葉は真に文豪の器であって決してただの才人ではなかった。
「硯友社の勃興と道程――尾崎紅葉――」内田魯庵(青空文庫)
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