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北村透谷の短き一生(島崎藤村)のあらすじ・登場人物

藤村が語る友・透谷の生涯

島崎藤村 1912年(大正元年)10月 「文章世界」

文字数
8,268字
読了目安
約17分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

1912年(大正元年)10月の『文章世界』に掲載された島崎藤村の回想。明治27年に二十七歳で世を去った詩人・評論家の北村透谷について、晩年の三年ほどを親しく交わり、未完のエマルソン評伝をまとめ、遺稿を集めて『透谷集』を編んだ藤村が語る。『女学雑誌』で世に出た透谷が星野天知や平田禿木らと『文学界』を起こした経緯、民友社との論戦、高輪や芝公園、国府津と移り住んだ暮らしと書かれた作品、小田原での生い立ちなどを、透谷の言葉や友人たちの逸話を交えてたどる。藤村は小説『春』でも透谷の面影を描いたと本文で述べており、本作では同じ友の生涯を回想の形で率直に綴っている。

あらすじ

私は北村透谷について、これまでも折にふれて意見を述べてきた。透谷の最後の仕事であるエマルソンの評伝を、病中の細君に頼まれて書き足して一冊にまとめ、没後には雑誌に散らばった文章を集めて『透谷集』を編んだ。透谷の残した葛籠いっぱいの反古を調べると、『楚囚詩』から『蓬莱曲』へと、一つの題目を何度も心に繰り返して深めていった跡がうかがえる。透谷は巌本善治の『女学雑誌』で世に出て、やがて星野天知・平田禿木らと『文学界』を起こし、民友社の徳富蘇峰や山路愛山を相手に激しい論戦を張った。高輪東禅寺の境内、麻布霞町、芝公園と住まいを移し、芝公園で『星夜』などを書き、奥州の旅から帰って体の異状を覚えると、祖先の縁のある国府津の寺へ移る。国府津では『一夕観』のように広い境地に出た文章を書いたが、体はすでに衰えていた。数寄屋橋の煙草屋の二階に戻って自殺を図り、傷は癒えたものの、再び芝公園の家で療養するうち、五月十六日の月夜に家のまわりの樹で縊れ、二十七歳で死んだ。私はさらに、小田原の士族の家に生まれて厳格な祖父に育てられた生い立ち、政治や宗教への熱中と挫折から文学へ向かった経緯、涼しい声と情熱に燃える眼を回想する。そして、士族の階級が滅びた明治の世に、その子孫から透谷のような物を考える人が生まれたのは偶然ではないと結ぶ。

登場人物

冒頭部(原文より)

 北村透谷君の事に就ては、これまでに折がある毎に少しずつ自分の意見を発表してあるから、私の見た北村君というものの大体の輪廓は、已に世に紹介した積りである。北村君の生涯の中の晩年の面影だとか、北村君の開こうとした途だとか、そういう風のものに就ては私は已にいくらか発表してある。明治年代も終りを告げて、回顧の情が人々の心の中に浮んで来た時に、どういう人の仕事を挙げるかという問に対しては、いつでも私は北村君を忘れられない人の一人に挙げて置いた。

「北村透谷の短き一生」島崎藤村(青空文庫)

末尾部(原文より)

 明治年代に記憶すべき、大きな出来事の一つは、士族の階級の滅亡である。その階級が有てる凡てのものの滅びて行ったことである。その士族の子孫の中から北村君のような物を考える人が生れて来たということは私には偶然では無いように思われる。猶、新時代の先駆者たりし北村君に就いては、話したいと思うことは多くあるが、ここにはその短い生涯の一瞥にとどめておく。

「北村透谷の短き一生」島崎藤村(青空文庫)

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