俳句はかく解しかく味う(高浜虚子)のあらすじ・登場人物
芭蕉の文学として句を味わう
- 文字数
- 73,229字
- 読了目安
- 約2時間26分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
高浜虚子が、芭蕉を中心に俳句の歴史と鑑賞の仕方を述べた書。俳諧史を概観したうえで、芭蕉や蕪村らの句を取り上げて、どう解釈しどう味わうかを示す。「俳句は芭蕉の文学である」という虚子の見方がよく表れている。
あらすじ
冒頭で虚子は、俳諧の歴史はまだほとんど調べがついていないとし、芭蕉や蕪村の研究はあっても俳句全体を文学史として研究した人はいない、と指摘する。大胆にいえば、徳川初期から明治大正に至るまで、俳句は要するに芭蕉の文学だと考えるという。そのうえで、芭蕉が従来の俳句に一革命をもたらして以来の流れをたどり、句を味わう方法を述べる。後半では、芭蕉、蕪村、几董らの句を取り上げて、情景や言葉の働き、季題の効果を解説し、最後に短夜の句を例に解釈を結んで「芭蕉の文学である俳句の解釈はこれを以て終りとする」と締める。
冒頭部(原文より)
俳諧の歴史というものは厳密にいえば殆んどまだ調べがついていないというてよい。芭蕉とか蕪村とかいう重な二、三の俳人については相当の研究をした人もあるけれども、俳句全体の歴史を文学史的に研究した人はまだ一人もないといって差支ないのである。しかして世間で普通に説いている俳諧史は極めて簡略な極まりきった説話に過ぎん。今一層大胆に引っくるめて言えば、徳川初期から明治大正の今日に至るまで、多少の盛衰もあり多少の変化もあるにしたところで、要するに俳句は即ち芭蕉の文学であるといって差支ない事と考える。即ち松尾芭蕉なる者が出て、従来の俳句に一革命を企てた以来二百余年に渉る今日まで、数限りなく輩出するところの多くの俳人は、大概芭蕉のやった仕事を祖述しているに過ぎん。そこで今俳句を解釈するに当っても、元禄の俳句はこういう風に解釈せねばならぬが、天明の俳句はそれと全く違うてこういう風に解釈しなければならぬとか、明治大正の俳句はこういう風に解釈しなければならぬというような、そんな複雑した変化のあるものではなくって、或る俳句を抜き出して来て、一応それを解釈する事が出来るようになった以上は、大概の俳句はそれに準じてさほど困難を感ぜずに解釈の出来るものである。唯その中に読み込まれている材料の解釈がむつかしいがために、解釈が出来ぬというような場合は論外であるが、俳句なる或る特別の一つの詩形を解釈するだけの事は、若干句の解釈によって容易く領得せらるる事と考える。そこで私は殆んど時代なんかに頓著なしに数十句の解釈を試みて、諸君の俳句に対する解釈力というようなものを養うという事にしようと思う。
「俳句はかく解しかく味う」高浜虚子(青空文庫)
末尾部(原文より)
几董は前にもちょいちょいといったように蕪村の高弟であって、天明作家中五指の中に在るべき人である。その句柄は蕪村に似ているところも固よりあるが、どちらかといえば太祇に学んだ所が多いようだ。召波が蕪村に似ているように几董は太祇に似ているのである。短夜というのは夏の夜の事で、日が長くなって最も夜の短くなるのは夏であるから、短夜というとすぐ夏の夜の事になる。さてまた単に短夜といっただけで、その意味は三通りになる。一つは夜涼みなどをして終に人の寝る位までの間、即ち夕暮から十時乃至十二時位までの間をいうので、次はどことなく白みかけて早や明けかけたという時分、即ち三時から四、五時頃の間、彼の「明け易」というのはこの場合である。次はまたそういう一部分をいうのでなく、短夜全体をいうので、日が暮れてから明けるまですっかりいう場合である。短夜という字の本義からいえば、この最後のが一番普通なわけであるが、しかし我らの実際感じるのは起きている場合のみであるから、短夜を咏じた俳句のうちには、はじめと中との場合が多い。即ち宵と暁との場合が多い。なお筆のついでであるからちょっと爰でいって置きたいのは、日永が春で、短夜が夏で、夜長が秋で、短日が冬であるのは、理窟からいったら合わぬ話になる。短夜と短日とはよいとして、日永と夜長は理窟に合わぬ。春と秋とはどちらかといえば昼夜平分である。春季皇霊祭と秋季皇霊祭を中心にしてその前後には多少の差があるにしても、夏や冬に比すれば平分に近い。それであるのに夏を日永、冬を夜長にしないで、春と秋とにしたのは不理窟極まるわけになる。昔の人は不注意であったかも知れぬが、今の人はすぐこういう事に気がつく。なるほどこれは一応尤もであるが、再考すると理窟に勝って感情にうとい説に成る。春はなるほど事実からいって日永の代表者たる資格はないが、しかし今まで夜が長くって日の短かかったのが彼岸の中日(春季皇霊祭)になって昼夜平分し、それからだんだん日の方が永くなって夜の方が短くなる。終に夏至に至ってその極に達するが、しかし日永を感ずるはその極点の時よりも今まで短かかったのが、これからだんだん長くなって行くという時である。これは人の談話を聞いて見てもわかる。夏のまん中頃、「この頃滅法に日が長い」などいわぬ事もないが、しかし春の半頃、「だい分日が永くなって来ましたな」という挨拶の方がむしろ多い。夏になってしまうと日の長い事になれるのである。だから、理窟からいったら日永は夏でなけりゃなるまいが、感情からいったら春である。秋の夜長も全く春の日永と同様である。理窟からいったら冬が一番夜長であるが、感情からいったら秋の方が夜長の感じが強い。右の外なおも一つの理由は、仮に一歩を譲り、よし実際の感じも夏の方が日永という感じが強い、冬の方が夜長という感じが強いとしても、その趣味の点から、春に日永の趣き秋に夜長の趣きがあるのである。夏は日が長くても暑さに苦しむ所から「日永かな」などと呑気に趣味を味わっている遑がない。暑い方からというと、「日盛り」というような感じが強いし、また人事からいうと「昼寝」でもしてしまうようになり、「日永」というような悠長な趣きはかえって夏には乏しいのである。それに反し春の方はよし夏ほどに永くないにしても、暑からず寒からず身体に好適の時候であるから、他の「長閑」、「うららか」などいう感じと共に「日永」という趣味は十分にある。秋の夜長もまたこの点において春の日永と同様である。さて夏の短夜、冬の短日はどうであるか。これは事実からいって春の日永、秋の夜長のような不合理の問題は起こって来ない。即ち実際夜の最も短いのは夏、日の最も短いのは冬であるから、その点に何の不審もおこるわけはない。しかしかえって春を日永、秋を夜長という以上は何故に春を短夜、秋を短日とはいわぬかとの疑問が起るかもしれぬが、其処はまた実際の感じ及び趣味の点から説明されるのである。即ち日永という実際の感じは前にもいう如く夏でなくかえって春の方である、短夜という感じは春でなくってかえって夏の方である。「マア夜が短くなった事、四時頃にもう明るくなっている」などというのは、夏になってよく人のいう事である、また趣きからいっても日永の趣きは春の方に在る、短夜の趣きは夏の方に在る。まだ日の出ぬ涼しいうちに起きいずるとか、明け易い空のしらしらと雲の流れている潔い感じとかいう、凡て短夜の趣きは夏に至って初めて現われるのである。故に理窟からいったら日永、短夜共に夏の領分でなければならぬが、実際の感じ及び趣味の上からは日永は春に横取せられ、短夜のみ夏のものとしてそのままに在留していると言ってよいのである。冬の短日も同じ事で、夜長という実際の感じ及び趣味は冬でなくてかえって秋であるに反し、日の短いという実際の感じ、及びその趣味は秋でなくてかえって冬である。「実際に日が短い」というのは秋でなく、誰でも冬になっていうのである。また寒い日の暮れやすい淋しい心持は、冬になって初めて現われるのである。故に理窟から言ったら短日、夜長共に冬の領分でなければならぬが、実際の感じ及び趣味の上から夜長は秋に横取りせられ、短日のみ冬のものとしてそのままに存留しているといってよいのである。右の如く考えて見ると、昔の人は直覚的で不理窟であっただけそれだけ季のものの命名など自然に文学的に出来ている。今に至ってなお改めることの出来ないのは、独り習慣ばかりでなく、この類の理由に基くのが多いのである。几董の句には必要のないことであるけれど、ついでに駄弁を費して置いたわけである。さてもとに戻って、この句の短夜は前陳の宵、暁、夜中のうち、どの種に属すべきものであろうか、先ず夜中に属するものと言ってよかろう。即ち短夜の句中最も少き種類に属するものである。句の意味は、夏の夜少数の兵士、もしくは本陣に使するものなどが、私かに敵の陣営の後ろを覚られぬように通り抜けたというのである。これが夜長とか春の夜とかでは、敵陣の後ろを通るというような際どい勢のよい傾向には適せん。何事も積極的な壮大な夏の夜であるから、殊に妙なのである。また前にも言った如く、短夜には涼しい清い感じがある、それもこの事柄の趣味に最もよく調和するのである。夜の短いという点も、敵の後ろを通るという嶮難な事に一層感じを強めるようになる。この句の如きは、短夜の句としても最も珍らしい句と言ってよい。几董集中にも珍らしい句の方である。 「芭蕉の文学」である俳句の解釈はこれを以て終りとする。 ――了――
「俳句はかく解しかく味う」高浜虚子(青空文庫)
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