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漱石氏と私(高浜虚子)のあらすじ・登場人物

書簡で振り返る漱石との交遊

高浜虚子 1917年(大正6年)2月 「ホトトギス」

文字数
66,396字
読了目安
約2時間13分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

高浜虚子が夏目漱石との交遊を、手元の数十通の書簡を主な材料に振り返った回想録。松山での子規を介した出会いから、東京や京都での交わりまでが綴られる。漱石が文壇に出るに至った当時の事情を知る資料として読まれる。

あらすじ

序で虚子は、漱石氏との交遊は疎きがごとくして親しく、親しきがごとくして疎いものだったとし、本篇は漱石の書簡を主な材料にした追憶の一端だと断る。座右にある数十本の手紙を取り出し、時系列に沿って語っていく。正岡子規の話の中で漱石の名が繰り返し出てきたこと、明治28年に松山へ帰省した際、漱石が大学を出て松山の中学校の教師になっていたことなどが語られ、のちの交遊へと進む。漱石の人柄や書簡の文面が多く引かれ、末尾は京都で出会った祇園の少女たちの後日談で結ばれる。

冒頭部(原文より)

  序  漱石氏と私との交遊は疎きがごとくして親しく、親しきが如くして疎きものありたり。その辺を十分に描けば面白かるべきも、本篇は氏の書簡を主なる材料としてただ追憶の一端をしるしたるのみ。氏が文壇に出づるに至れる当時の事情は、ほぼ此の書によりて想察し得可し。

「漱石氏と私」高浜虚子(青空文庫)

末尾部(原文より)

 その後漱石氏はまた一度京都に遊んで、祇園の大友という茶屋で発病してその家に十数日横臥し、介抱のために妻君が西下して来たような事もあったとの事である。然しその頃の漱石氏の消息は私は委しくは知らない。ただ横臥した家が祇園の茶屋であったという処から推して考えて見ても、その時の漱石氏はもう寺ばかりを歩いて居たのではなかったろうと想像される。千賀菊は数年前請け出されて人の妾となり、既に二、三人の子持であるという事を寸紅堂の主人が何時か上京の序に話した。玉喜久は今なお祇園の地に在って、姉さん株の芸子である事を一昨年京都に遊んだ時に聞いた。当年の二少女は一夜の漱石氏の面影を記憶に存しているかどうか。

「漱石氏と私」高浜虚子(青空文庫)

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