俳諧師(高浜虚子)のあらすじ・登場人物
俳句に生きようとした青年の半生
- 青春
- 心理
- 文字数
- 83,527字
- 読了目安
- 約2時間47分
- 表記
- 旧字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 愛媛県
- 東京都
- 京都府
この作品について
1908年(明治41年)に「國民新聞」へ連載された高浜虚子の長編小説。俳人として立つことを志した青年・塀和三藏が、松山から上京し、貧窮と挫折を重ねながら俳壇に身を置いていく半生を描く。虚子自身の若き日と、正岡子規門下の俳人たちの姿がなまなましく写されており、「ホトトギス」を中心とする明治俳壇の内幕を伝える資料としても貴重である。写生文の実践から小説へと踏み出した虚子の代表作であり、漱石が「小説家としての虚子」を認めた作品でもある。
あらすじ
明治二十四年、伊豫尋常中學校を卒業した塀和三藏は、医者にも政治家にもならず文学者になろうと心を決める。俳句に手を染めた三藏は、同郷の先輩俳人たちの導きで句作に打ちこみ、やがて志を抱いて上京する。だが文学の道は容易ではない。学業は続かず、下宿を転々とし、独逸語の書生として住み込んでは食客のような日々を送る。京都に移り住んだ折には、間借り先の娘・鶴子や下女のお常との淡い交情が生まれるが、それも身を固めるには至らない。仲間たちとの句会、俳誌の編集、地方の俳人たちとの交わりを重ねるうち、三藏は少しずつ俳壇に位置を占めていく。しかし俳句で身を立てるということの寄る辺なさは変わらない。かつて異常なる哲学者肌と見えた俳友・水月は、いつしか平凡な人となり、地震を怖れながら「僕は自殺せうと思ひます」と平静に語り、ほどなくピストルで自らを撃った。三藏は、その死を胸に置いたまま、なお俳諧師としての日々を送る。
登場人物
- 塀和三藏 俳諧師として立とうとする青年。作者自身の投影
- 水月 三藏の俳友。哲学者肌の人物であったが、のち自殺する
- 鶴子 京都の間借り先の娘
- お常 同じ家の下女。三藏を懐かしむ
冒頭部(原文より)
一 明治二十四年三月塀和三藏は伊豫尋常中學校を卒業した。三藏は四年級迄忠實な學校科目の勉強家で試驗の成績に第一位を占める事が唯一の希望であつた。それがどういふものか此一年程前より試驗前の勉強は一切止めた。この卒業試驗前は近松の世話淨瑠璃を讀破した。試驗の答案は誰より早く出して殘つた時間は控室で早稻田文學と柵草紙の沒理想論を反覆して精讀した。
「俳諧師」高浜虚子(青空文庫)
末尾部(原文より)
水月は此年の秋自殺した。三四年間殆ど俳人としての交通を絶つてゐたが、三藏は京都から歸つて間も無く久振りに出逢つて其風采言行の非常なる變化に驚いた。以前は一見異常なる哲學者肌の人と思つたのが極めて穩かな平凡な人になつてゐた。「近來俳句は如何です」と三藏が聞いたら「近頃二三句作りました」といつて思ひ出し/\其句を話した。三藏は全く月並であるのに驚いた。それから最も三藏を驚かしたのは「僕は自殺せうと思ひます」といつたことだ。けれども其態度が極めて平靜で更に大問題と思へぬやうな口振りであつたので三藏は初めこそ驚いたが、たいして氣にも留めなかつた。
「俳諧師」高浜虚子(青空文庫)
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