子規居士と余(高浜虚子)のあらすじ・登場人物
弟子が語る子規との出会いと別れ
- 文字数
- 48,894字
- 読了目安
- 約1時間38分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
高浜虚子が、師であり同郷の先輩である正岡子規との出会いから最期までを回想した長篇の随筆。松山の中学時代に子規の存在を知り、やがて俳句の道に入り、子規の期待を受けながら向き合った関係を率直に綴る。子規の人物像と近代俳句の誕生を、弟子の側から伝える。
あらすじ
物語は、松山の練兵場で中学生の虚子たちがバッチング(打撃の練習)をしていると、東京がえりの書生たちが現れ、バットとボールを貸してほしいと声をかけるところから始まる。これが子規との縁の入口になる。その後、子規に師事して俳句を学び、東京へ出て子規のもとに出入りする日々が語られる。子規から後継者として期待されながら、虚子は自分の道を求めて応えられず、それを悔やむ思いもつづられる。子規の臨終と葬儀の様子を描き、「余の生涯は要するに居士の好意に辜負した生涯であったのであろう」と述べて追懐談を閉じる。
冒頭部(原文より)
一 松山城の北に練兵場がある。ある夏の夕其処へ行って当時中学生であった余らがバッチングを遣っていると、其処へぞろぞろと東京がえりの四、六人の書生が遣って来た。余らも裾を短くし腰に手拭をはさんで一ぱし書生さんの積りでいたのであったが、その人々は本場仕込みのツンツルテンで脛の露出し具合もいなせなり腰にはさんだ手拭も赤い色のにじんだタオルなどであることがまず人目を欹たしめるのであった。
「子規居士と余」高浜虚子(青空文庫)
末尾部(原文より)
私はこれで一先居士追懐談の筆を止めようと思う。私は今でもなお、居士の新らしい骸の前で母堂の言われた言葉を思い出す度に、深い考に沈むのである。余の生涯は要するに居士の好意に辜負した生涯であったのであろう。 (大正三年二月十三日夜十一時半擱筆)
「子規居士と余」高浜虚子(青空文庫)
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