斑鳩物語(高浜虚子)のあらすじ・登場人物
法隆寺を訪れた旅人の話
- 恋愛
- 文字数
- 9,289字
- 読了目安
- 約19分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 奈良県
この作品について
高浜虚子が1907年(明治40年)5月に『ホトトギス』へ発表した小説。虚子は同誌の編集に携わり、同誌は漱石『吾輩は猫である』の発表の場にもなった。作品は官命で大和へ調べに赴いた「余」が、法隆寺に近い宿で土地の娘から斑鳩一帯の名所を教わるところから始まる。法起寺の塔や菜の花畑など、奈良盆地北西の風物が物語の背景になる。俳人である作者の、景を見て写し取る目の働きが生きた一編である。
あらすじ
官命で古寺の取調に大和を旅する「余」は、法隆寺の門前の宿・大黒屋に草鞋を脱ぐ。出迎えたのは色白で才はじけた十七八の娘お道。宿の中二階からは菜の花と梨の花の一面の畑が広がり、お道は三輪・初瀬・吉野・畝火山と、見える限りの名所を生き生きと指し示す。翌日、法起寺の取調を終えた「余」は、十五、六の小僧に誘われて三重塔をよじ登る。臆病な「余」が羽織を埃だらけにしながら命がけで登りきった塔の上から見下ろすと、菜の花畑の中に僧・了然とお道が寄り添い、お道が顔を包みに押しあてて泣いている。二人は恋仲だが、了然が僧の道を歩むために引き裂かれた仲だと小僧は語る。お道は「了然の方から棄てるのは勝手だが、こちらは焦がれ死にするまで片思いを思い抜いてみせる」と言っていたという。その夜、がらんとした宿で「余」は報告書を書きながら、二つの機の筬の音に耳を澄ます。冴えた音がお道の機だと聞かされ、彼女のうたう土地の流行唄が夜更けの静寂に染み入るように響く。旅人の眼を通して、大和の風光と、そこに生きる娘の切ない恋の影とを、淡く清らかにすくい取った写生文の名品である。
登場人物
- 余 官命で法隆寺周辺の古寺を取り調べに訪れた語り手。宿から見える大和の景色や、そこに生きる人々の姿を静かに写し取る
- お道 法隆寺の宿の裏に住む機織りの娘。利発で快活だが、僧・了然への報われぬ恋を抱える
- 了然 法起寺の僧。学問もでき実直だが思い切りが悪く、お道との仲を断ち切れずにいる
- 小僧 法起寺の十五、六歳の所化。「余」を三重塔の上へ案内し、了然とお道の恋の顛末を語る
- お髪サン 宿の主婦。「余」に土地の暮らしやお道の身の上を語って聞かせる
冒頭部(原文より)
法隆寺の夢殿の南門の前に宿屋が三軒ほど固まつてある。其の中の一軒の大黒屋といふうちに車屋は梶棒を下ろした。急がしげに奥から走つて出たのは十七八の娘である。色の白い、田舎娘にしては才はじけた顔立ちだ。手ばしこく車夫から余の荷物を受取つて先に立つ。廊下を行つては三段程の段階子を登り又廊下を行つては三段程の段階子を登り一番奥まつた中二階に余を導く。小作りな体に重さうに荷物をさげた後ろ姿が余の心を牽く。 荷物を床脇に置いて南の障子を広々と開けてくれる。大和一円が一目に見渡されるやうないゝ眺望だ。余は其まゝ障子に凭れて眺める。 此の座敷のすぐ下から菜の花が咲き続いて居る。さうして菜の花許りでは無く其に点接して梨子の棚がある。其梨子も今は花盛りだ。黄色い菜の花が織物の地で、白い梨子の花は高く浮織りになつてゐるやうだ。
「斑鳩物語」高浜虚子(青空文庫)
末尾部(原文より)
終に暫くの間は筬の音も耳に入らぬやうになつて稿を終つた。今日で取調の件も終り、今夜で報告書も書き終つた。がつかりと俄に草臥れた様に覚える。 火を小さくして寝衣になつて布団の中に足を踏み延ばす。筬の音はまだ聞こえて居る。忘れてゐたが沈んだ方のもまだ聞こえて居る。 眠るのが惜しいやうな気がしつゝうと/\とする。ふと下で鳴る十二時の時計の音が耳に入つたとき気をつけて聞いて見たら、沈んだ方のはもう止んでゐたが、お道サンの筬の音はまだ冴え/\として響いてゐた。
「斑鳩物語」高浜虚子(青空文庫)
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