日本精神(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
日本精神を意識するな
- 文字数
- 1,055字
- 読了目安
- 約2分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
1936年(昭和11年)12月、「新潟新聞」夕刊に載った坂口安吾の短い随筆。「日本精神にかえれ」という声が文学の世界でも聞かれた時期に、日本精神をことさらに意識することの危うさを説く。小説を書くとき自我を意識しすぎると作品が自我の枠に収まってしまう、という創作論に重ねて論じているのが特徴。千字ほどの小篇で、安吾の伝統観・文化観の要点が簡潔に出ている。
あらすじ
ヨーロッパ精神が実在するかどうかは西洋の思想界でも問題になっており、日本精神も今日では世界精神と結びつかざるを得ず、独立した形で指摘するのは難しい。生活が日本的であると同時に世界的でもある以上、ことさら日本的であろうとすれば、かえって概念的な日本人になってしまう。小説家が書く前に自我を意識すると作品が自我に限定されるのと同じで、日本精神を先に意識するのは危険だ。意識しなくても、書いた結果には日本人であることが現れる。伝統にも発展がなければならず、外国かぶれをするのも日本精神の一つの特質かもしれない、と安吾は述べる。
冒頭部(原文より)
ヨーロッパ精神は実在するか、また実在するとせば如何なるものがそれであるか、といふことが西洋の思想界でもだいぶ問題になつてゐるといふことで、私もヌーヴェル・リテレールのアンケートで同じ質問の解答を読んだ記憶がある。ヴァレリイとかロマンローラン、クロオデル等といふフランス文壇の大御所達が顔を並べて答へてゐたが、個々の意見は記憶にない。
「日本精神」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
伝統にも当然発展があるべきで発展なき伝統に限定しやうとすることほど文化の憎むべき敵はない。外形的に西洋かぶれをすることも自然の流れであつてみればやがてそこにも日本精神の必然的な自律性が加はるだらう。元来外国かぶれをすること自体が日本精神の一特質であるのかも知れないのである。これは冗談や自嘲ではない。
「日本精神」坂口安吾(青空文庫)
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