如是我聞(太宰治)のあらすじ・登場人物
攻撃すべきは、あの者たちの神だ
- 文字数
- 22,895字
- 読了目安
- 約46分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
自死の年に「新潮」へ連載された、太宰治最後の評論であり、文壇への公然たる宣戦布告。「一群の老大家」の自信の源は「家庭のエゴイズム」だと断じ、志賀直哉を名指しに近い形で徹底的に攻撃する。作品への批評というより、書き手の生き方そのものを撃つ言葉が、憑かれたような速度で連ねられてゆく。太宰の絶望と誇りがむき出しになった、異様な迫力をもつ文章である。
あらすじ
「他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ」——ヴァレリーの言葉を引いて、太宰はこの十年抑えに抑えてきた抗議を毎月書いていくと宣言する。標的は、まず「一群の老大家」である。彼らの揺るぎない自信はどこから来るのか。ようやくそれを知った、と太宰は言う。家庭である。家庭のエゴイズムである。妻子が可愛いだけではないか——。周囲のごひいきの好みに応じた表情を構えて見せているだけの小説を「立派」「潔癖」「貴族的」とあがめる世間もろとも、彼は斬りつける。回を追うごとに筆鋒は激しさを増し、やがて志賀直哉と思しき相手への直接の呼びかけへと変わる。芥川の苦悩がまるで解っていないこと、本を読まないということはその人が孤独でない証拠であること、「子供の読物を、いい年をして大えばりで書いて、調子に乗って来たひと」——罵倒とも痛哭ともつかぬ言葉が続く。「或る新聞の座談会で、宮さまが、『斜陽を愛読している、身につまされるから』とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか」。そして「太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり」の一行で連載は途切れた。この年の六月、太宰は玉川上水に身を投じている。
冒頭部(原文より)
他人を攻撃したって、つまらない。攻撃すべきは、あの者たちの神だ。敵の神をこそ撃つべきだ。でも、撃つには先ず、敵の神を発見しなければならぬ。ひとは、自分の真の神をよく隠す。 これは、仏人ヴァレリイの呟きらしいが、自分は、この十年間、腹が立っても、抑えに抑えていたことを、これから毎月、この雑誌(新潮)に、どんなに人からそのために、不愉快がられても、書いて行かなければならぬ、そのような、自分の意思によらぬ「時期」がいよいよ来たようなので
「如是我聞」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
貴族がどうのこうのと言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解)或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴の知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり。
「如是我聞」太宰治(青空文庫)
名文
一言で言おう、おまえたちには、苦悩の能力が無いのと同じ程度に、愛する能力に於ても、全く欠如している。おまえたちは、愛撫するかも知れぬが、愛さない。
志賀直哉ら文壇の大家に向けて、死の直前まで書き継がれた激しい反論の一節。苦悩する能力と愛する能力とを重ねる言い回しに、太宰が文学に求めたものが率直に表れている。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。