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鴎外博士の追憶(内田魯庵)のあらすじ・登場人物

夜を昼に生きた文豪の素顔

内田魯庵 1922年(大正11年)8月 「明星」

文字数
8,991字
読了目安
約18分
表記
新字新仮名
種別
随筆

この作品について

軍医にして文豪、森鴎外の若き日の素顔を、親しく往来した内田魯庵が描く追憶。無名時代に突然訪ねて門前払い同然に扱われたことから始まる交遊、深夜まで品詩論画に更けた千朶山房の日々、四時間しか眠らぬ精力と博覧の癖、そして「死んだら君の墓石へ書いてやろう」と篆額を約した最後の対話までを、鴎外ならではの逸話でつづる。

あらすじ

内田魯庵が、S・S・S(新声社)の『於母影』で世に出た頃からの親交をもとに、森鴎外の人となりを追想する。無名の書生だった魯庵が花園町の鴎外を突然訪ねて夫人に用件を問われ、腹を立てて「鴎外を訪うて会わず」という一文を新聞社へ送ったところ、その夜鴎外自身が詫びに来訪した一件を皮切りに、初対面から旧知のように打ち解けた鴎外の意外な一面を語る。門前払いをする偏屈者と噂されつつも若い客を喜んで迎え、深夜まで論争を好んだこと、山田美妙の書いた文壇逸話を魯庵の筆と誤解して大反駁を加えたが、誤りと知るや素直に詫びたこと、四時間しか眠らぬ精力、菜食・米飯論や日本家屋論、江戸図・武鑑や古書の蒐集癖、渋江抽斎らの考証へ向かった晩年までを、具体的な逸話で描く。純文芸は鴎外の本領でなく考証にこそ大成の器があったと見て、「死んだら君の墓石へ書いてやろう」と篆額を約した最後の対話を回想し、還暦での早すぎる死を惜しむ。

登場人物

冒頭部(原文より)

 若い蘇峰の『国民之友』が思想壇の檜舞台として今の『中央公論』や『改造』よりも重視された頃、春秋二李の特別附録は当時の大家の顔見世狂言として盛んに評判されたもんだ。その第一回は美妙の裸蝴蝶で大分前受けがしたが、第二回の『於母影』は珠玉を満盛した和歌漢詩新体韻文の聚宝盆で、口先きの変った、丁度果実の盛籠を見るような色彩美と清新味で人気を沸騰さした。S・S・Sとは如何なる人だろう、と、未知の署名者の謎がいよいよ読者の好奇心を惹起した。暫らくしてS・S・Sというは一人の名でなくて、赤門の若い才人の盟社たる新声社の羅馬字綴りの冠字で、軍医森林太郎が頭目であると知られた。

「鴎外博士の追憶」内田魯庵(青空文庫)

末尾部(原文より)

 私が鴎外と最も親しくしたのは小倉赴任前の古い時代であった。近時は鴎外(のみならず他の文壇の友人)とも疎縁となって、折々の会合で同席する位に過ぎなかったが、それでも憶出せば限りない追懐がある。平生往来しない仲でも、僅か二年か三年に一遍ぐらいしか会わないでも、昔し親しくした間柄は面と対った時にいい知れないなつかしさがある。滅多に会わないでも永い別れとなると淋しい感がある。  殊に鴎外の如き一人で数人前の仕事をしてなお余りある精力を示した人豪は、一日でも長く生き延びさせるだけ学界の慶福であった。六十三という条、実はマダ還暦で、永眠する数日前までも頭脳は明晰で、息の通う間は一行でも余計に書残したいというほど元気旺勃としていた精力家の易簀は希望に輝く青年の死を哀むと同様な限りない恨事である。

「鴎外博士の追憶」内田魯庵(青空文庫)

名文

墓碑なら書くよ、生きてる中は険呑だから書かんが、死んだら君の墓石へ書いてやろう、

篆書の揮毫を頼んだ魯庵に、鴎外が笑って返した言葉。これが二人の最後の対話となり、先に逝った鴎外を偲ぶ追憶に深い余韻を残す。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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