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大阪の反逆――織田作之助の死――(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

織田作之助を悼み戯作を論ず

坂口安吾 1947年(昭和22年)4月 「改造」

文字数
9,274字
読了目安
約19分
表記
新字新仮名

この作品について

1947年『改造』4月号に載った評論。織田作之助が亡くなった直後に書かれ、将棋の升田七段が木村名人に三連勝した話題から入って、織田の「二流文学論」「可能性の文学」を取り上げる。「大阪の反逆」という世間の語り方に異を唱えつつ、織田の戯作者根性を高く評価し、志賀直哉的な私小説の態度を痛烈に批判する。

あらすじ

升田七段の新手が「大阪の反逆」と騒がれることから、安吾は織田作之助の二流文学論や可能性の文学にも同じ時代的な翹望が潜むと見る。坂田八段が第一手に端歩を突いた衒気は面白いが、それは合理性に欠け、負けるべくして負けたと言い、織田が京都の講演で客席の灯を消してスポットライトを浴びたことや、座談会の速記に余計な笑いを書き加えたことを、読者を面白がらせようとする戯作者根性として擁護する。荷風の江戸趣味は自分のみを高しとする俗物性だと切り、大阪の市民性には日本的迷信への反逆の地盤があると認めながらも、反逆は大阪ではなく文学本来の立場から行われるべきだとする。志賀直哉の文学は戯作性を欠いて態度の真面目さを思想の正しさと取り違えた「作文」だと批判し、織田が可能性の文学を大阪の地盤に結びつけたことを惜しむ。織田は悲しい男であったが、その徹底した戯作者根性は日本文学が学ぶべきものであり、思想性と戯作者根性の両立こそ必要だと結ぶ。

冒頭部(原文より)

 将棋の升田七段が木村名人に三連勝以来、大阪の反逆というようなことが、時々新聞雑誌に現われはじめた。将棋のことは門外漢だが、升田七段の攻撃速度は迅速意外で、従来の定跡が手おくれになってしまう(時事新報)のだそうで、新手の対策を生みださぬ限り、この攻撃速度に抗することができないだろう、と云う。新らたなるものに対するジャーナリズムの過大評価は見なれていることだから、私は必ずしもこの評判を鵜のみにはしないが、伝統の否定、将棋の場合では定跡の否定、升田七段その人を別に、漠然たる時代的な翹望が動きだしているような気がする。

「大阪の反逆――織田作之助の死――」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 日本文学は貧困すぎる。小説家はロマンを書くことを考えるべきものだ。多くの人物、その関係、その関係をひろげて行く複雑な筋、そういう大きな構成の中におのずと自己を見出し、思想の全部を語るべきものだ。  小説は、たかが商品ではないか。そして、商品に徹した魂のみが、又、小説は商品ではないと言いきることもできるのである。

「大阪の反逆――織田作之助の死――」坂口安吾(青空文庫)

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